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立体写真  第39回 緒方五千石祭

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2007年9月23日撮影

 緒方地方は古くから祭が盛んな所で、ほとんど他村の追従を許さないほど祭が盛んな所であった。
祭は地区ごとに、五穀豊穣を祈願する、いわゆる「秋祭」として行われていた。 祭は、通常神社で行われる。
祭神が年に1回、神社の本殿から神輿に乗り外に出て、秋の豊作を約束する。 これを御幸(みゆき)という。
形態は、最初に獅子舞が行われ、神輿の出てゆく道を清めて廻る。獅子舞には、起こし、地伏(じぶく)、柱、
笠などの様々な舞があり、神輿の通る道で決められた舞を行う。獅子舞による清めが終わると、次ぎに
白熊が奉納される。(白熊が途絶えて獅子舞だけの地域もある。)
獅子、白熊により「魔」が周辺にいないことが確かめられると、神は神輿に乗り「御仮屋」まで御幸する。

午前9時頃各地から御輿が集まってくる

グラウンドに集まった15基の御輿

今回の取材でお話を聞いた大行事八幡社氏子の首藤さん

 この様な形で各地区ごとに祭が行われていたが、時代の流れと共に昔ほどのおもかげがなくなってきた。
そのため、昭和5年11月に人心の融合統一と祭の活性化を図るために、旧緒方村8区に鎮座する天神地神を
大正公園に集め、各地区の神輿、獅子舞、白熊を一同に会し「緒方村連合祭典」を開催することになった。
 その後、昭和7年には旧緒方村、南緒方村が合併し緒方町となった。その記念に大々的に連合祭典を
行うことになり、各村内19体の神輿を一同に会して祭が盛大に行われた。
祭りは、「連合祭」と呼ばれていたが、しだいに「五千石祭」とも呼ばれるようになった。
「五千石祭」の「五千石」は、緒方平野が岡藩の主要な穀倉地帯であり、約五千石の石高があったために
付けられたといわれている。
 太平洋戦争が逼迫し、国民が青息吐息になった時代は祭も一時中断したが、大分県下に誇る
名物「五千石祭」はどうしても捨てがたいということで復活した。 今年は39回目の祭り。

子ども達の太鼓から始まる

御輿は御仮屋に安置される

御仮屋

 現在の五千石祭は、緒方小学校の校庭に、各地域(旧緒方村、旧南緒方村)の獅子舞、白熊、神輿が
一同に会するようになっている。各地区の神社で、早朝に獅子舞・白熊が行われ、その後緒方小学校まで移動する。
小学校の御仮屋に神輿が安置されると、各地区の獅子舞、白熊が舞立てを行う。
各社氏子は、奉納が終わると御仮屋前で神輿に向いお参りする。そして、千盆搗や緒方神楽が行われる。
グランドには、金魚すくいなどの出店がたくさん出店され、たいへんな賑わいをみせる。

鍬を手に土を固める緒方井路改修を再現した千本搗(せんぼんづき)県指定無形文化財

下の各パノラマ写真をクリックして立体パノラマ写真をご覧下さい

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御仮屋では、「神楽」が奉納され、人々は秋の収穫が豊作であるよう祈りながら酒宴を行う。
夜になると、神が神社本殿に帰るため、獅子・白熊は再び舞を行い、神輿を先導する。

獅子舞や白熊はグランドから出て、町内の各家を廻り、「門舞い(かどまい)」を行う。
各家では、縁起の良い舞いということで、御祝儀を渡す。
 夜になると、花火が盛大に行われる。そして、神輿が安置された御仮屋の前で、獅子の舞立てが一斉に行われ、
その後各地区の神輿がそれぞれの神社に帰る。神社では、獅子・白熊が「魔よけ」を行い、神輿が本殿に納められた後、
「納め」の舞が行われ、祭は終了する。