トップへ戻る

第10回 四教堂塾で管理人の私が講話しました

題は「ホームページと私」プロジェクターで ホームページのパソコン画面をスクリーンに大きく出して説明しました




ホームページと私             平成17年2月18日

今晩は 只今ご紹介していただきました 自称「パノラマ写真家」の志賀です
自称ですから他の人はまだ認めていないんでしょうね パノラマ撮影の依頼はまだ一度もありません

私が約3年まえから作り出したホームページが結構人気がでてホームページを通してお友達がいっぱい出来たり毎日の生活が充実しているんです  60を過ぎてもそんな人生がある事を知ってもらうのもいいかなと思ってこうして今日は皆さんの前でお話する事にしました

私は昭和18年の夏 佐伯市中村で薬屋をしていた家に長男として生まれました 只今満61歳です 幼少時代は大分市の竹町の裏側(笠和町)に住んでいました 小学校4年の夏 荷揚小から佐伯小に転向してきましたその頃から科学が好きで子供の科学という雑誌を小学校4年から中学3年まで読んでいました 多分小学校6年の頃 手作り望遠鏡で月のクレーターなど見たのがきっかけで天文好きになりました 中学の時は鉱石ラジオから真空管のラジオの組み立てばかりやっていました科学的な遊びは好きでしたが国語・英語・社会はまるでできませんでした

父親は仲町で小さな衣料品店(シガヤ)をやっていまして 将来は跡を継がせたかったのでしょうが 子供時代は自分の家の商売が嫌いで中学3年のとき勝手に金の一番掛かりそうにない国立である熊本電波高校を受験し高校は熊本に行きました

高校を出てから外資系の会社に就職し大分・北九州・熊本などで勤務しましたが 英語に弱いので出世できないと思って会社を辞め26歳の頃 佐伯に帰ってきました 29歳で結婚し 子供が生まれたので一眼レフカメラを購入しましたが 商売が忙しく昼間カメラを写す時間はありませんので 夜なら時間がありますから天体写真を始めました天体写真はカメラやさんに現像に出しても写っていないといわれ それなら自分でとフィルムの現像や印画紙への焼付けなど自分でしました それがカメラと本格的に取り組むきっかけになりました

私が42歳のとき母が亡くなり 一生懸命働いても死んでしまえば何にもない 人間生まれるときも死ぬときも裸なんだ どうせなら好きな事をして生活しようと 木立に百坪土地を買い小さな天体観測小屋を作ったり星の好きな仲間を集めて佐伯スターサークルなどを作って遊んでいました といっても仕事はきちんとやっていました 家内に婦人服の店は任せて 私は子供服の店エンゼルを経営していました パソコンは50歳の頃店の会計やDM作りをパソコンでやろうとパソコンを購入 当時はまだパソコンは普及していませんので 本をたくさん買い込み独学でパソコンを使えるようになりました

6・7年前 蛇崎の郊外に大型店が出店してきて私の店もこれからは大型店に入らないと生き残れないと思い出店希望したんですが 大型店が扱うブランドと同じでバッティングするという理由で出店をできず そんなこんなで心配がつのりとうとう小腸から出血しだしたりして 南海病院に3ヶ月入院し小腸の3分の2を摘出という大手術をしました 結局 それで子供服店は廃業し 他の仕事を探しましたが50歳を過ぎていますので就職先もなく 手術後ということもあり何もしていませんでした

あるとき メカトロセンターでホームページの作り方を教えると市報の記事をみて 2日間習いに行ったのですがホームページを自分でも作れそうとその時思ったんです当時は電話回線で遅いし電話代がかかるので滅多にインターネットは見なかったんですね そしていたら4年前くらいに佐伯でもケーブルTVがケーブルインターネットを開始し同じ頃から電話回線のフレッツADSLというのが早くて電話代も固定料金だということが分かったんですそれでフレッツADSLに加入して 人が作ったホームページをインターネットで見ていました

企業や役所が作ったホームページより個人のホームページはずっと何倍も面白かったですね インターネットはすごいなあと思ったんですね これなら自分の意見とか作品を自由に発信できる便利だなあと思いました

思い立つとすぐ実行する性格ですので すぐ家内の店の「ブティックSHIGA」のホームページをたちあげましたその中に天体写真や仲町商店街の事 それと子供服店をなぜ廃業しなければならなくなったかを書いてみたんです本心は小型店をいじめる大型店の事実を発信したかったのがホームページを作る一番の理由でしたでも 作ってみて分かったんですが 殆どだれも当然ながらブティックSHIGAなど知りませんから 見に来ない訳ですね そこで 佐伯市出身の方が見にくればと思って 佐伯の風景写真を載せだしましたが そのうち パノラマ写真を載せるようになったんです そのうちパノラマ写真の評判がいいのではと気づいたんですねそれから タイトルは「Panorama in大分県」としてパノラマ写真と星の写真だけのホームページにタイトルから全て作り直したんです その後今の「パノラマ写真で見る大分県」に変更しました

その理由は 検索サイトで日本人が見るんだから日本語でということパノラマ写真で検索したら引っかかりやすくする為です 検索してみましょうか
「パノラマ写真」というキーワードだけで私の「パノラマ写真で見る大分県」が一番に検索されます パノラマ写真では3年の間の努力で日本一になれました 誰でも 頑張れば日本一になれることを実証したのです

タイトルに大分県という文字が入っている以上 大分県中の景色を撮影しなければという使命感にかられ ほとんど晴れたら毎日のように写真を撮影に出かけました 当然大分より遠いところは高速道路も乗ります その料金もかなり使いました

それから最初は掲示板などなかったのですが 掲示板のあるページは訪問者が多い事などが分かってきましたそれで掲示板もつくりその後アンケートなどのページも作りました

いまでは あつ見つけた とか風景別とか 面白写真とか 民話と伝説とか 童謡のページとか 大分百景とか 月別の見所とか 県外のパノラマとか 天体写真などいろいろ工夫しています サービス精神満点なんですねパノラマの作り方も掲載していますのでそのサポートもしています

テレビや新聞やラジオや本雑誌など世の中にいろんなメディアがあるんですが インターネットの良さは個人でだれでも発信できるかという事でしょう それと情報を探す人が検索という機能を使って欲しい情報だけを取り出せるのも便利ですそれと双方向で参加できる例えば掲示板などで質問したり仲間をつのったりお互いリンクしあえる また いつでもインターネットにつながったパソコンさえあれば夜中だろうがお昼だろうが北海道にいようがアメリカにいようが見ることができるそれも固定料金でつながっていればすべてタダで楽しめるのですからこんな便利なものはないですね

私の「パノラマ写真で見る大分県」も世界中の日本人から見ていただいていますから 海外でも日本語が表示できるパソコンを持っていれば私のホームページを見ることが出来るんです 「今看護師の勉強で1年前からネバダのリノで勉強しています つらいときは懐かしい大分の風景を涙を流しながら見ています」などとメールが来ると私もすぐ感激する方ですから貰い泣きしてしまうんです

昨年大雨で番匠川が危険水域を越えたあと私が番匠川の写真を掲載したんですそうしたら アメリカのカリフォルニアに住んでいる方が私のホームページを見てびっくりし佐伯の城南のご主人の実家へ連絡したら城南の本人はそうとも知らずアメリカから知らされてびっくりしたそうでその城南の方が仲町の店まで来てこんな事があったのよとわざわざ教えてくれました アンケートのコメントにもあります(ミサさん) ところがこの城南のご婦人にはもう一人名古屋大学の教授の息子さんがいたんですね この方から最近メールが来ました 「私は、佐伯で生まれ、佐伯で育ちました。先日アメリカの弟の所に遊びに行った時、弟からしがさんのホームページの事を聞きました。弟からすごくきれいで、いろんな画像があって懐かしいよと聞いておりました。本日早速ホームページを閲覧させて頂きました。もう感動しっぱなしです。特に城山からの風景には涙が出そうになりました。もう、100回以上は登っています。遠くにいても故郷の風景を見れることはこの上ない幸せです。本当にありがとうございました。」
という具合に逆に海外に住んでいる方から私のHPを教えてもらった日本の方もいるんです

インターネットとはこのように便利なものですね  インターネットの情報は誰でもどこからでも発信できるというお手軽なものですから嘘の情報や悪意に満ちた情報もあるし見るだけで感染するウィルスもありますから注意は必要です世の中の為にならない事も中にはありますが だからインターネットは危険だとは考えてもらいたくないんです 「振り込め詐欺」があるから電話を持つのを止めますか やっぱり電話も必要ですね それと同じでインターネットは自由にいろんな意見や作品を聞いたり見たり自分からも自由に発信できる最上のメディアだと思っています

アンケートを見てください どこから見ている方が多いかわかります 関東や関西がやはり多い事が証明されました またこのアンケートに一番下の質問になにか一言書いてくださいと書いていますが その記入されたコメントだけまとめたページも作っています

東京からご覧になっている方が多いのも私のホームページの特徴ですが こんな事もありました それは城山からの写真です ある女性の方からメールがありました 私の育った家が写っています懐かしくて何回もみています もう誰も住んでいないので取り壊そうと思っていましたが これから時々その空き家を掃除したり見に帰ってみますとの事で私もそんなメールを頂くと感激してまた頑張ろうと思うのです
城山のページに明治初期の地図があります これを拡大してみますと四教堂があったことが地図にも載っています

見た方がお友達に教えるという形で徐々に訪問者が増え始め今では32万人が訪問したことになります この訪問者というのが正確ではありませんから騙されないようにしてください

そして私の故郷のあそこを写してという依頼も多くなりましたが ほとんどその依頼に応じて撮影しています

昨年今頃別府湾にクジラが現れましたね あの頃 車椅子の方からメールを頂いたんです「しがさん私は事故でもう数年間車椅子で自由に外に出られません できたら鯨のかんちゃんを見たいので写してください」と頼まれたんですくじらなんかそう写せる訳じゃないけど 頼まれたからにはと思って田の浦ビーチまでいって待ってましたが当然クジラは来ません 田の浦ビーチの写真だけ行った証拠に掲載したら 大分のAKIさんという方が偶然このかんちゃんを写しておいたのを私に使ってくださいと提供してくれたんです

5月ですが 竹田市のブルーサンタさんから私の勤めている久住分校が学校の統廃合でなくなるかも知れません 是非久住分校を撮影してくださいとメールを貰って 行きました  すごく周りの景色もいいし教頭先生などともお話してここで作った野菜や有精卵の卵などおみやげに貰って帰りましたその後大分県にもメールを出したんです「今日本の食糧自給率は少ないそうですがこれからは農業や畜産漁業など一次産業が一番大切な産業です そのためにもこんないい農業高校を廃校など絶対しないでください」などとも書いたんですが そのためではないでしょうが 久住分校は結局存続することになりました

存続といえば 玖珠町に森機関庫があるんですがここには昔の名残の円形機関庫があるんです 今では貴重な鉄道遺産なんですが 荒れ放題なんです ここも私が撮影しました ここも玖珠町がJR九州から買い上げて国指定の登録有形文化財として修復保存されれば私も嬉しいです

写真以外にも大分に伝わる文化も一部紹介しています それは大分弁です 豊後高田では毎年方言弁論大会をやっています この模様は豊後高田からお借りしました
また 大分に伝わる文化に豊後浄瑠璃羅生門とか玖珠万歳というものがあるんですが 最近では聞くことがないですね これは大阪のたかひろさんという方が 自分の義理の兄貴が語るからこんど帰省したら録音してきちゃるということで わざわざ帰省して録音して私に大阪から送ってくれたものです 文章を聞きながら書くのが大変な作業でした

大分市の施設に能楽堂があります これも頼まれて撮影したのですが そのあと能楽堂を最初に手がけた大分市の職員さんからメールを貰いました 市から能楽堂の担当にされて最初はなんでこんな能楽堂が大分にいるのかと思って勉強したら能とか狂言とかもともと百姓の娯楽だったそうで宇佐神宮などでも今でも伝わっている文化だそうです 大分は能などが盛んだったことが分かりましたという事で私に舞台のビデオを送ってくれました

写真を撮影に行くとまた いろんな方に出会います それも楽しみの一つです
中には「今日はしがさんも撮影に来るだろう」と予測されて日出の梨アグリさんのように現場で会う事もあります
久しぶりに郷里大分に帰ってきた埼玉県在住の雅楽生さんのおごりで三重町のアミーさんや竹田のもっちゃんや欅さんや大分市のはなみずきさんとかたくさん集まってオフ会もしたりした事もあります 

私はこの「パノラマ写真で見る大分県」を作り出してから約8万枚の写真を撮影しましたパノラマ写真は10枚くらいの写真を横につないで作るんですそれで枚数がいっぱいいるんです ホームページには2100枚しか載せていませんが実際に作ったパノラマは7000枚くらいあるんです 撮影や移動時間パソコンでの合成やホームページの更新操作皆さんへのお返事など今まで9000時間はこの「パノラマ写真で見る大分県」のために費やした事になりますもちろん失敗作も数多くあります

昨年こんな事がありました 東京の舞台プロデューサーの岡村さんという方からメールをいただきました それには こんど大分芸術文化振興会議40周年記念公演で三浦梅園の哲学を分かりやすく紹介する舞台をやるがその背景に三浦梅園が育った安岐町や国東の写真がほしい その写真をスライドにして舞台の背景に使おうと思っているんだがあちこち探したんだがいい写真がない 今パソコンで偶然あなたのホームページを見つけたら写真がいっぱいあります 貴方なら持っているだろうとメールしましたということでそのプロデューサーは時間が無く来られませんから舞台監督の本匠村出身の柳井さんが店にこられて写真を20枚選びそれらがこの40周年の公演に使われましたそれで大分のグランシアタでの切符を2枚もらって家内と見に行ったんです 三浦梅園役は前進座の俳優嵐さんで 三浦梅園にいろいろ訪ねる役の女優さんは大分県出身で同じ前進座の女優で江林智施さんだったんですが この江林さんが私のホームページのファンだったんですね 私がグランシアタの写真を載せたらこの江林さんからすぐ投稿があり 「私はあのとき出演していたのでしがさんの写真を見られませんでした こんど年末にNHKで放送されるのを楽しみにしています 私もホームページを作っていますのでリンクを貼りました」という投稿でうれしかったです

このときグランシアタに行く時始まるまでまだ時間があったので竹町を歩いていたら 竹町で街角結婚式がちょうどあって 私は女性を写すのも好きですがなかなかモデルはいません この時とばかりこのウェディングドレスを着た花嫁さんをバシャバシャ写したんですね そしたら向こうもうれしそうににっこり会釈をしてくれるんです帰ってからすぐその写真を載せました するとすぐ掲示板に投稿があり 「しがさん私を大きく載せてもらって有難う」なんて書いてるんです やっぱり私を知っていたんですね  貴女の写真をいっぱい撮ったよというと 今度佐伯に行くからその写真をCDに焼いておいてくださいというんですね ああいいよ取りに来なさいと言ってたら数日後本当に来てくれたんです 臼杵の方でぷぷらさんといいます 佐伯はあんまり知らないというので独歩館など山際でも案内しようと思ったら丁度休館日でした それでドライブにでも行こうとぷぷらさんを助手席に乗せて蒲江町のマリンカルチャーに行ったらここも水槽の掃除日でまた休み 彼女が西の浦の丸二水産の蒲江町観光協会長の橋本正恵さんを知っているというので 私もこの前郷バスでお会いしたばかりでしたので丸二水産さんまで一緒に行きましたらお刺身などご馳走になりました そこで今度は橋本正恵(まーねえ)さんから 今度西の浦の早吸日女神社で伊勢海老祭り昼飯交流会をするからその模様をホームページに載せてと頼まれ また伊勢海老交流会を載せに写真を撮りにきて伊勢海老をご馳走になりました その後も最近では蒲江の橋本さんからの依頼で「じゃごん列車」の紹介も撮影に行きました

ぷぷらさんからはその後また連絡があり 豊後高田の田染で田染の食材を使ってフランス料理のシェフが田舎料理を作ってその試食会をするから撮影に来てと頼まれのこのこと試食が出来るからまた出かけてしまいました 彼女は元NHKのキャスターや大分ケーブルTVのキャスターをしたりして今は独立していろいろ企画を起こす会社の社長だったんです
ここ田染では大島順子さんというフランスでほとんどを過ごす方が「本物のフランス料理は田舎にある」などと講演しました この大島順子さんのページも見てみましょう九州での講演の中に私のHPとリンクしてくれています

”島”違いなんですが大嶋三平さんという方がいらっしゃいます この大嶋さんはフォークグループ初代「かぐや姫」のメンバーで今は「九州フォークジャンボリー」の実行委員長さんなのですがこの大嶋さんともOBSラジオで対談して大嶋さんが喜んでくれてこれもリンクしていただいて「大嶋三平のどげーかなる」に記事も書いてくれました

また 昨年12月の事ですが 熊本大学の工学部の教授からメールをいただきましたそれは「岩盤の崩落を研究している学会の代表です その学会の書物の表紙に小半の採石場の崩落写真を使いたいので撮影してきてください」というものでしたそこで写真を撮って送ってあげましたら ここの崩落はくさび形崩落としては他に類をみない大規模なもので教科書にのるようなものですということでした

自分が住んでいた家をもっと見たいという方もいました 杵築市の見晴らしのいいところに一松邸というお屋敷があるんですね その家を建てたのは一松さんといって吉田内閣時代に大臣を長くされた方なんですが ご子孫はその立派なお屋敷を杵築市に寄付されて今は東京に住んでいるんです 私はこの庭だけ最初写していたんですが 偶然東京のこの一松さんのお孫さんが私のホームページでこの一松邸の庭の写真を見つけてメールが来ました 「私は孫に当たりますが母がまだ生きています 母が建物を見たいといっていますので建物の写真も掲載してください」それでこの建物も載せているんですね いろいろ 面白いでしょう ホームページを作って誰かかれかの役に立っているとおもうと嬉しいですね

最初ホームページを作ったころ私のページには掲示板も無かったんですが 佐伯市で「気まま空間」というホームページを作っているチョコピーさんと最初しりあったんですね チョコピーさんが私の家にきたり 一緒に花など撮影にいってたんですが あるときこのチョコピーさんが 「しがさんはもしかして私の旦那の同級生じゃない」と言い出したんです それで中学の時の写真を引っ張り出したら まこと ご主人が同級生のU君だったんです U君とは45年ぶりの再開でした それからは 彼のお宅にも時々遊びに行くようになりました

48年ぶりの再会もありました 
直川出身のSさんという方が 私のホームページを見て直見の駅の風景が見たいというので直見駅を載せてあげたら喜んでくれ直川に帰った時に土産をもって立ち寄ってくれました その後何回か変えるたび私に会いに来てくれます Sさんは元自衛隊にいたんですそこでK君という小学校の同級生が海上自衛隊にいるそうだがと聞いたら彼は良く知っている同級生だった 自分は陸上だがK君は海上自衛隊で潜水艦の艦長を6年位して今は自衛隊を退職して奈良にいるというのです 私はK君とは小学校以来会ってなかったんですSさんが連絡してくれたので 早速K君からメールが来ました こんど帰るから会おうという事になりました 彼の妹さんが日の出でレストラン小山をしているので時々帰るそうです 帰って「気まま空間」のU夫妻も一緒に久住のレストランオーベルジュコヤマにいきましたなんとそのレストランはK君の弟さんが経営していたんですが ぼくはそのオーベルジュコヤマにいつか行かなくてはと思っていたところだったんです
なぜオーベルジュコヤマを私が知っていたかというと これも最初のころ良く投稿してくれた佐渡島で治療院をしている合氣堂さんという方がいます 彼も大分出身ですが まだ会ったことはありません その合氣堂さんは修行中東京にいたのですが 飲み仲間がオーベルジュコヤマを開いたKさんだったんです それでしきりに私にフランスで修行した一流シェフだから久住を通るときは一度食事に行ってくれと頼まれていたんです 偶然にもそのKさんと私の同級生のKさんは兄弟だったんです 世間は狭いなあと感じましたそんな事でそれからK君からもしょっちゅうメールが来るようになりました 佐伯湾の自衛艦を見てこれは「はつゆき」だと教えてくれたり 瀬会の浜沖で沈没した潜水艦イ号の写真を送ってくれました

東京の文京区の山ちゃんもイラストレータの池田さん(佐伯出身)もホームページで知り合ったお友達です
昨年春子供の結婚式で東京に行ったとき 二人と六本木ヒルズで会いましたが 初対面なのになぜか昔から知っている友達のような感覚でした

すぐその後また 今度は授賞式で上京したのですが又山ちゃんが夜の東京を案内してくれました

山ちゃんは 野津原生まれで清川村育ちで両親とも早く死に別れ大分には滅多に帰らないのですが昨年5月墓参りに帰ると連絡を受けたので 私の木立の自宅に泊まってもらい蒲江町など案内しました 今月13日には還暦同窓会で清川に帰った山ちゃんと竹田市で会い いっしょに岡城跡など散策しました

こんな事もありました それはNHKのニュースを見ていたら 「江戸城外堀の発掘現場で 昔の江戸城の石垣が発掘されました その石垣に矢羽根の刻印がある石垣が佐伯藩が作った石垣ということが分かりました」と報道されたんですね えっ すぐ山ちゃんにメールしましたら 山ちゃんがすぐこの発掘現場にかけつけ写真を撮ってメールで送ってくれたんです
別府の事はかぼすさんに聞けばいいし 玖珠町の事はうんめえ伐株さんに聞けばいいし 蒲江の事はとんまさんに聞くとか津久見市の事は上野さんに 北海道の事なら滝田さん・・・・・に こうして私にはインターネットというネットワークのおかげで 各地に特派員がいるみたいなものですね
これこそがネットワークの力だと思います 大分県は平松知事さんのとき 早くからコアラというインターネットを立ち上げたり お役所内のネットワークはすべて光ファイバーなど巨額な設備投資までして作っていますが問題は どう使用しているかであります 折角の設備ですから ネットワークをうまく利用して欲しいと思いますね

私には時々依頼のメールが来ます
真玉町の粟島神社とか大在の高台からの風景を写してとかホーバークラフトを写してとか三重の小学校の楠が見たいとか 神奈川の主婦の方から若いときに赴任した小学校が長目の小学校で廃校になるらしいので写してとか小学生からも今年の夏休みは宇目町のおばあちゃんちに行けなかったのでおばあちゃんの家の附近を見たいとか 北海道にいる方からは故郷の滝を見せてとか その人の故郷の滝(佐伯市)を撮影して掲載しました 本匠村の中学を見たいとか 巨石が好きな方からは佐田京石を写してとか 昔遠足に行った銚子の滝を見たいとか私が知らないところをどんどん言ってくるんです それで可能な限り撮影に行きますので写真がどんどん増え続けるんです
最初は観光地だけと思ってはじめてみたんですが 掲示板やアンケートや直接メールで頼んでくるんですね

12月6日の掲示板を見て見ましょう カヨさんという方から投稿がありますね このカヨさんはカヨ先生といって清西小の先生だったんですが廃校で今は福岡県にいるんです その先生のお父さんが すみつけ祭りの準備をされているので是非すみつけ祭りを紹介してとの依頼も受けています 丁度佐伯郷バスで1週間前の12日すみつけ祭りに参加したおかげでそのカヨ先生とも再会できました

大分県に来たことがない福岡や熊本や宮ア県・佐賀・長崎の方は 私のホームページを見て遊びに来ている事もわかりました
大分出身の方はホームページを見て奥さんや子供を連れて大分に遊びに来る人が増えたんです 中には老後は大分に永住しますと言う方もいます そこで「田舎暮らし応援サイト」ともリンクしました

そうか 私のホームページは 大分県の観光に相当役立っているなあと気付いていたんです それで 大分県や観光協会にホームページで観光客を呼び寄せられますよとメールしたんですが 一向にお役所からは返事も来ないんですところが昨年の春大分県庁の人事異動で観光・振興局長さんが交代しました そういうことで楢本局長の目にとまり 早速 大分県から楢本局長さん以下3人が仲町の私のところへ来てくれて 「いままで気づかず申し訳ありませんでした 是非 由布院玉の湯会長の溝口さんが座長をしている(大分の観光・地域振興ネットワーク)という会が5月に発足しましたから その会に入ってください」といわれ 会に入会し会議などのみ出席しています

この会では私も大変心強い方と知り合いになれました 日本文理大学の辻野教授です 辻野教授は四国生まれですが 数年前大分の文理大学に教授として来られてからすっかり大分のとりこになられ 大分学・大分楽など本も執筆され 大分を全国にPRなさっています 辻野先生はあちこちで講演もなさっていますので 私の「パノラマ写真で見る大分県」を見なさいと必ず講演のなかで紹介と宣伝をしてくれます もうすぐ3月には著書「大分学・大分楽」の第2巻が出版される予定ですが この本の「まえがき」と「あとがき」で私を紹介してくれるし 楢本局長が本文の中で紹介してくれる事になっていまして 楽しみにしております 本屋さんで見つけたら是非購入してください 正確な書名は『大分学・大分楽U─位置地域の自立・自尊』(明石書店 税込み2100円)です 辻野教授から3月18日今度東京で大分学の講義をするからと聞きましたので掲示板で紹介しましたらすぐ何人かが参加の申し込みをしてくれたようです

この辻野先生のご提案で 昨年大分県のホームページ上で県内の風景がダウンロードできるようになり その写真はすべて私が撮影した写真を提供しました

昨年夏 大分県が大分を活発にする「地域戦略プログラム」を募集していましたので 私も提案を出したんです
それは 現在観光に来ようと思ったときまず一番にインターネットで調べる方が多くなったのに まだまだインターネットをうまく利用できていないのではないか 例えば 大分県 観光とキーワードを入れても 市町村など自治体のホームページは真っ先にでるが肝心の観光に役立つ事を掲載していない これでは観光につながりません それで 例えば私のホームページを自治体のトップページなどにリンクを貼ることで 見た人があそこに行って見ようとなればリンクを貼っただけで効果が出るしかも費用は全くかからないし 是非県下の市町村でいろいろ面白い情報を発信しているページを探し出して積極的にリンクを貼れば大分の観光や地域振興に役立ちますと提案しました その提案は 最優秀賞となり 昨年9月知事室において広瀬県知事から表彰していただきました

県議会でも広瀬県知事は「パノラマ写真で見る大分県」を例にだして これから民間の活力あるホームページを積極的に宣伝していきましょうと発言されています

昨年12月大分港でプロペラを写しました それは玖珠の風力発電所でつかうものだったのですが玖珠町観光協会にメールで写真を撮ってくれませんかと頼んだら すぐ撮ってきてくれたのです これもネットのおかげです 現場に行かないのに現場写真が手にはいったんですから玖珠観光協会も感激してくれたのでしょう おいしいカウベルランド玖珠のお肉も送ってくれました
また すぐ玖珠町観光協会のホームページの表紙にリンクを貼ってくれましたこのようにお役所にも感度のいいかたと感度の鈍い方がいます

リンクをすることはこのように数分で済む簡単なのですが お役所自体がなかなか動く人がいなくて 現在市町村は平成の大合併のさなかにあり お役所に勤めている方々がそわそわしていてそれどころではないようですが 早く合併が落ち着いて大分県内の全部の市町村がインターネットをもう一度見直していけば 大分県は 北は溶岩台地 中部は日本一の温泉地帯 南西部は高原地帯と山岳地帯 南東部はリアス式海岸と素晴らしい景色がいっぱいあるんです 絶対観光立県として充分やっていけると回っていて気づきました早く 大分の各部署が一体になって力をあわせて宣伝すれば 大分は日本一の県になれると思っています

大分県は廃藩置県のとき中津藩・杵築藩・日出藩・府内藩・臼杵藩・佐伯藩・森藩・熊本や島原の飛び地・宇佐神宮・日田天領など小藩分立だったから 大分県のまとまりの悪さは日本一なんです(日田出身の筑紫哲也氏の言葉より) 他の県はたいがい藩に一つか二つの城でそこが県庁所在地になり大都市になっているが 大分は文化が藩によって皆違うだから大分だけ見ても 大分を観光したことにはならない これが大分の魅力で平松前知事もこの事を良く知っていたので一村一品運動をやった 大分は全部を廻らないと大分を知ったことにはならない(辻野先生の著書より) 

別府を世界一の温泉と宣伝したのは 油屋熊八さんですが 熊八さんは昭和2年毎日新聞社が「日本新八景」を全国から募集しているのを知り葉書を山のように買い込み市民に配って応募してもらったんですそうしたら別府温泉は堂々のトップ当選で全国に知れ渡るようになったんです 飛行機宣伝を最初にしたりバスガイドをはじめて採用したり温泉マークを作ったり 富士山頂上に「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」という看板を立てたり 自分の手が大きいので別府で大きい手の人を集めて大会を開いたりアイデアマンでした 大分県は まだまだ宣伝べたです もっともっと自信をもって大分の良さを宣伝してほしいと思っています

3月には佐伯も日本で指折りの面積の市になります郷バスに参加させてもらって県南のいろいろな景観を見てきましたが たくさん地元に素晴らしい財産があることにおかげで自分自身で気が付きました これも四教堂塾のおかげです ほんとうに有難うございました
四教堂塾の田原さんと知り合えたのも田原さんがホームページの作り方を習いに来たことから始まりました
ぜひ 自宅や職場で「パノラマ写真で見る大分県」を開いて見てください そしてもっと・もっと多くの親戚やお友達にこの「パノラマ写真で見る大分県」を宣伝してください それにより大分への観光客も増え将来は大分に住もうという人も増え地域の自然や景観を守ろうという地元の意識が芽生え地域の活性化がより進むと思います 大分県は学校にパソコンはたくさんありますがインターネットの利用などはワーストの方だそうです 是非学校などでも「パノラマ写真で見る大分県」を子供たちに見せて大分の素晴らしさを教えてもらいたいと願っています

本日はこんな講話させてもらえる場を作ってもらい本当に有難うございました


トップへ