八坂川と杵築城


身投げ石
いまから三百五十年ほど昔の天正年間のことです。豊後国木付城下八坂庄に、岡の殿と呼ばれる豪族がいました。広い領地をもって、使用人も多く、広い屋敷を構ぇて、なに不自由のない気ままな生活を送り、その富と栄華は、近郷近在に鳴りひびいていました。
思うことは何ひとつとして叶わぬもののない岡の殿も、子宝にはあまり恵まれず、ただ一人女の子が生まれただけでしたが、やがて成長し、輝くばかりの美しい姫となりました。

岡の殿は、それこそ目に入れても痛くないほど姫を大切にしました。ところが、ある年の冬、姫はふとした風邪がもとで床についたのですが、間もなく、枕も上がらぬ重い病気になってしまいました。
岡の殿は非常に心配し、八方手をつくしましたが、姫の病気は一向によくなりません。こうして幾日か過ぎたある日の夕暮れ、どこからともなく一人の修験者が現れ、岡の殿の屋敷の門に立ちました。
「姫のやまいを治そうと思えば、黒い花の咲く百合の根をせんじて飲ませるがよい。」 修験者はそう言いますと、どこへともなく立ち去ってしまいました。

家来から修験者の言葉を聞いた岡の殿は、溺れる者の藁をもつかむ気持ちで、すぐ人をやって修験者を探させましたが、どこへ行ったのか、とうとうわかりませんでした。
岡の殿は、家来を各地にやって、修験者の言った黒い花の咲く百合を捜させましたが、あいにく季節も百合の咲くころを過ぎてしまっているうえ、黒い花の咲く百合など誰も聞いたこともなく、家来たちは、いずれもむなしく帰って来ました。
岡の殿は、狂気のようになって、家来たちをはじめ、下郎・下男にいたるまで、屋敷中の男を残らず呼び集めて言いました。
「黒い花の咲く百合を、草の根を分け、地の果てを尋ねても捜し出せ。得た者には姫をめあわせようぞ。」
人々は、美しい姫と夫婦になれるものなら、地の果ても決して遠くはないと、勇んで各地へ旅立って行きました。

幾日かして、人々は家を出た時の意気込みはどこへやら、誰も彼もうちしおれ、つぎつぎと帰って来ました。
「黒い花の咲く百合は、あったか、どうじや。」
待ちかねた岡の殿は、いらだちながら一同につめよりましたが、人々は、「黒い花の咲く百合などあるわけがない。」 と、みな一様に疲れた表情でささやき合うばかりでした。岡の殿は、怒り狂って、再び人々に探索を命じました。

その時です。門口の方でヒヒンと馬のいななきがして、一頭のくり毛の馬が庭に駆け込んで来ました。それは岡の殿の乗馬でした。
馬は家の庭に駆け込むと、岡の殿の前まで来て止まり、その口にくわえていた草を投げ出しました。驚いたことには、馬がくわえてきたその草こそ、尋ねる百合の花でした。
すぐさまその黒百合の根をせんじて、姫に飲ませますと、不思議なことに姫の病気はみるみる回復し、間もなく元どおりの元気な体になりました。
岡の殿は、馬にたくさんのごちそうを与え、その労をねぎらいましたが、約束の姫とめあわせると言った言葉は、相手が人間でなく、馬でありましたので、すっかり忘れてしまいました。

しかし、馬はその約束を忘れませんでした。それからのち、馬は機会をみつけては、姫のそばへ近寄るようになりましたので、姫は気味が悪くてなりません。岡の殿は馬を厩に閉じこめて、外に出さぬようにしました。それでも馬はたびたび厩を破っては、姫の部屋のあたりをうろつきますので、今度は、大工に命じて特別に頑丈な厩を作らせ、くつわをかませたままで、馬を閉じこめてしまいました。

姫は、ある日のこと、病気全快のお礼まいりのため、数人の供を連れ、駕篭に乗って若宮八幡社へ参拝しました。
その帰り道、屋敷の近くまで来ますと、突然屋敷の中から血だらけになった馬が飛び出して来ました。荒れ狂って厩を破ったのです。
お供の人々が、「あれよ、あれよ!」と騒いでいる間に、たけり狂った馬は、姫の乗っている駕篭をめがけて、矢のように走って来ました。
姫は、とっさの機転で、駕篭から抜け出し、お供の人の笠で顔をかくして、八坂川の土手伝いに逃げました。

馬は駕篭を突き飛ばして、中に姫のいないのを知りますと、ますます怒りたち、あたりを激しい勢いで駆け回りました。そして、土手伝いに逃げて行く姫の姿を見つけますと、高くいななきながら追いすがって行きました。
姫は、馬が追ってくるのに気づきますと、恐ろしさに足が震えて、もう先へ進めなくなってしまいました。

たまたま姫が逃げのびたあたりは、八坂川の河口の曲がり角にあたる場所で、渕になっており、そこには高さ五メートルほどの大岩が川に向かって突き出ています。
この岩は、岡の殿が散歩の時など休息して、あたりの景色を眺めるところで、「岡の殿の昼食岩」 といわれていました。
姫は、必死の思いで、その岩に這い上がりました。斜に切りたった岩で、頂上の広さは畳一枚敷きほどあります。まさかここまでは馬も登ることはできないだろうと、姫はやっと安心して、胸をなで下ろしました。
ところが、馬は岩に近づくと、一気に駆け登って来ました。恐ろしい執念です。

今はどうすることもできないと観念した姫は、両手を胸に合わせると、さっと川に身を投げました。
姫の体が一たん沈んで、水面に浮かぶ間もなく、馬も川に飛び込みました。そのまま、姫も馬も行方が知れません。

姫が馬の邪念のために身を投げてから長い年月がたち、八坂川はたびたびその流れを変えましたが、この哀話は土地の人々に語りつがれ、だれ言うとなくこの岩は「身投げ石」と呼ばれるようになりました。

「身投げ石」には、今でもおそろしい馬の執念の蹄の跡が、まざまざと残されています。

      大分文庫  大分の民話より



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