神の井


神の井 伝説
日向国、美々津の浜を出航されて、東にむかわれる神武天皇は、九州の東海岸ぞいにみ船をすすめられた。
み船は、うちよせる太平洋のあら波をしのぎ、豊後水道の潮にのって、やがて、佐伯湾にはいられた。ここには、海部とよばれる漁師(海人)たちが、あちらの浦、こちらの浜に、数戸ずつの村をつくつて、海のえものをとってくらしていた。
「おお、島が見える。漁師たちの船もいる。あの島で水をもとめよう。」いく日ものこうかいに、飲み水をつかいはたしたみ船は、佐伯湾の大入島によって船をつなぎ、天皇は、おとものものたちとともに上陸された。

「これ、水がほしい。ちかくに水はないか。」おとものものがたずねると、漁師は、こまったような顔でこたえた。
「はい、あの山の下に、岩をもれる水がわずかばかりございますが、このように大ぜいのかたがたのつかう水は、とてもありません。」
島のようすを見ると、浜べには、水をくむような谷川など見あたらない。漁師たちは、海にせまる山すその、岩間づたいにぽたりぽたりとおちる水をあつめ、またほ、岩のくぼみにたまる雨水をくんでは のみ水にしていた。
漁師たちの、こんなくらしを見てうなずかれた天皇は、山すその、岩根にちかい砂浜にあるいていかれた。そして、手にもたれた折弓のさきを、地中ふかくつき立てられた。

「水よ、でよ。水よ、でよ。」と、おいのりし、しずかに弓をぬきとられた。
すると、うつくしい水が、こんこんとわきあがってきた。
「おお、水だ。きよらかな水だ。」
おとものものたちほ、よろこんでその水をくんだ。
「ああ、なんとゆたかな水か。」「いのちの水だ。」
漁師たちも、ロぐちにさけびながらその水をくんだ。
あくる朝、まだ夜のあけないうち、潮どきをえて船出するみ船を、漁師たちは、心をこめたたき火で見おくり、航海のぶじをいのったという。

大入島のこの浦は、日向泊と名づけられた。弓のさきでほられた井戸は神の井とよばれ、いまもだいじにのこされている。また、日向泊の海岸には、み船をつないだというふたつの大岩ものこっており、海人たちが、み船を見おくるときたいた火明りは、いまも日向泊につたわるドンド(正月十五日、鏡もちを竹のさきにつけ、たき火でやいて食べる行事・左義長)のおこりであるといわれている。

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