吉四六ランドのつつじと吉四六話語り部の家

2006年6月2日 大分県で一番語り継がれている民話「吉四六さん」の家が画面右にあります


野津に実在した庄屋でとんちのあった廣田吉右衛門のお話が「吉四六ばなし」として伝えられています

ここに移築復元された吉四六さんの家では毎週土曜と日曜日 語り部により民話が口演されています


吉四六話から  

大きいつぼ
あるとき、吉四六さんが町へいったんじゃと。
せともの屋のまえをとおると、いろんなつぼを売っちょる。
「よし、ひとつ買うちいこう。」
吉四六さんほ十文のつぼを買ってかえったが、どうも小さくて、つかいにくくてかなわん。
あくる日、吉四六さんは、この十文の小さいつぼをもって、同じせともの屋にいくと、
「そこにある大きいつぼは、なんぼかえ。」
店のおやじに聞いたち。
「へい、まいど。二十文でございます。」
「じゃあ、きのうのこのつぼと、これをとりかえてもらうぞ。」
吉四六さんは、きのう買った小さいつぼを店にかえして、大きいつぼをかかえると、すたすたと店をあとにした。
びっくりしたのは、店のおやじだ。あわてておいかけてきた。
「お客さん、お客さん。代金をまだいただいておりません。あと十文いただきませんと、その大きいつぼはわたせません。」
「ほう、これはおかしなことをいう商人があったもんじゃ。いいかえ、きのう十文だした。」
「へい、それは小さいつぼの代金です。」
「そして今日、十文のこのつぼを返した。それで、あわせて二十文になろうが。してからに、二十文の大きいつぼをもってかえって、いったいどこがわるいんじゃ。」
「なるほどたしかに、そういうことになりますな…・‥。」
せともの屋はそうこたえたものの、どうもふにおちん。ゆびをおったり、ひろげたりしちょったが、吉四六さんはおかまいなしに、「どこにも、文句あるめえが。」と、かえっていったち。

天のぼり

昔、野津市村に吉四六さんというとってもとんちがいいしがおったんと。

やせ馬じゃあけど百姓にゃ大事なもんで、馬か牛がおらにゃあどうしてん五月にゃあたっちいかんわけじゃな。それに、銭ぐそひるじゃんいうち、やせ馬売っちしもうち、田植はするこたならん。
なんとか田植えをするこたあできんもんじゃろうかと考えよったち。

ところが、ひょんと思いついち、「よし、いいこつがある。」ちゅうのんじ、吉四六さん、ある夕方、村ん方を向いち、「あした、おりや、天にのぼろうと思う。そやき、みんな、すまんけんど おりかたん前に来ち、そん、見送っちくれんじゃろうか。」ち、おらぶもんじゃき、村んしはたまがっちしもうち、あしたになると、あら、わんさ、くるわくるわ、みんなしち、「こらあ、吉四六が天にのぼるちゃ、どういうこつか。」ちいうたち。

ほったら、「おりや、もう、家におっち百姓しても思うとおりにゃいかん、食うのも困ることじやき天にあがりや、まあ、なんとか食うことんぐれ、できるかんしれん。そりじやき天にあがろうと思う。なげえことたいへんおせわになりやんした。」

ち、いうち、みんなから、せんべつもろたり、前ん田のなけえ、はしごかけち、ごそりごそりのぼりかけたち。
上にあがる時、「おまえど、よっぽどすまんけど、吉四六ん天のぼりはあぶないもんじゃ。あぶないもんじゃ、ち、下じおらんじくれんじゃろうか。そりじ、おりやあ、みんなからはげまされち、上んごとあがるこつができる。まあ、たのむき。」ち、たのんだち。

村んしは、「そら、まあ、そげするくれえじゃねえ。たいこをもっちきち、盆おどりみたごつしち、吉四六ん天のぼりはあぶねえもんじゃ、吉四六ん天のぼりはあぶねえもんじゃ、ち、しちやるわい。」
ち、いうち、みんなじ田ん中で、「吉四六ん天のぼりはあぶねえもんじゃ。吉四六ん天のぼりはあぶねえもんじゃ。」ち、いうたっち踊ってまわったんじゃ。

だんだん上んごつあがった吉四六は、じつと下を見ち、うん、おおかた田がねれたごちあるなちゅうこって、「そげえ、お前んじょうがあぶねえちいうなら、おりやあ、いっしょうけんめい上んごつ、あがろうと思うたけんど、もう、おりも、おりるわい。」ち、ごそごそおれちきたち。

村んしは「天にのぼったっちゃどけなるかや。まあ、今まで久しゅう、つきおうちきたんじゃき、 いっしょにおりやいいじゃねえか。」ちゅうようなこつで、さっさ、いんでしもうたち。

吉四六はあとじ、「ああ、これじ、あした田植えがでくる。」ち、たいそうよろこんだんとう。




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