玖珠の菅原地区に伝わる万歳を伝える佐藤さんの語りをお聞きください
玖珠万歳を語ってくれたのは 湯布院にお住まいの佐藤さんです 2005年5月撮影(83歳) |
菅原道真公は今を去る千百有余年の昔 平安初期の宇多天皇に重用され学者としては異例の右大臣までに上りましたが藤原時平の中傷により太宰府権の師に左遷され、九州へ都落ちの身とはなりました。
その都落ちの道すがら刺客の難を避けるために豊後の国今の大分県玖珠郡九重町字菅原の地に暫く住まいし、村人たちに農業を進め牛馬を愛し、又寺子屋を開いて子供たちに学問を教えました。
そのお礼にと村人たちが集い寄り百姓のことなどを面白可笑しく歌い舞いして道真公をお慰めしたのが玖珠万歳の始まりと言われ爾来村人たちは新しい年の初めに又、お祝いの行事に万歳を舞ったといい伝えられています。
道真公は御年59歳のとき配所にて没しましたが没後まもなく本官に復し太政大臣位を贈られると共に神として祭られ天満天神として信仰を集めるに至りました。
京都の北野天満宮や福岡の大宰府天満宮が有名でございます。
一、一億億千秋お万歳楽々楽代と誉め奉つれば弥勒の出生、三夜の若月大般若経京都の御聚殿とお宅のお家を誉め奉りてマモラの万歳と舞わずばなるまい。
万歳、万歳あいたしこ万歳、万歳 あたしこ 万歳、万歳 あたしこ 万歳、万歳
あいたしここらしこ立つこそこわけれ座るこそ安けれ万歳、万歳立たずばなるまい立ったら一腰舞わずばなるまい万歳、万歳 昔は御白河法皇の御時右郷や左郷や宰相大臣数多の公卿衆が万歳、万歳 月桂雲客の冠召されて春日の杜に集まり給えば、ダゼンが小庭に突っ立ち上がってこれまた目出度い目出度い目出度い
天下の宝を誉め奉つれば八坂の曲玉・草薙の宝剣 やたのの御鏡 万歳、万歳
浮世の宝が金・銀・糸・錦・銭金・田地に田端・山林・野原なんどがどさりござってこれまた目出度い 目出度い 目出度い
御家の宝は一にはお命 二には福徳 三に幸い 万歳、万歳
ご繁盛の宝はお祖父さんが宝よ お祖母さんが宝よ 孫こそ宝よ、一番の宝は今夜抱いて寝る嬶こそ宝よ万歳、万歳 牛こそ宝よ馬こそ宝よ馬では何処馬日向や薩摩の名を云う名馬が十二の厩の歳徳神の方から耳をばそばだて蹄をそろえてひんひんと駆け込みなさってこれまた目出度い 目出度い目出度い
牛では何処牛五島や平戸や但馬や神戸に豊後牛なんどが万歳、万歳
鼻をばならして三日月なりの角をば振りたてお家の厩の歳徳神の方からももおんもおんと駆け出しなさってこれまた目出度い目出度い
その時 お家の春田をすこうか、かこうか、犂では何処犂猫犂麻犂松ノ木稔床椿の床とよ万歳、万歳 先では何処先、天竺唐崎、我が朝に渡って日向じゃ宮ア、肥前じゃ長崎、豊後じゃ鶴崎、高田じゃ芝崎 由布院な山崎 万歳、万歳
お寺じゃ門先、お家じゃかどさき、羽織じゃぶつさき、刀じゃ切っ先、頭じゃ禿げ先、万歳、万歳 あ万歳 万歳
手足じゃつま先、正月吉日二日の綯い初め水綱が八尺取綱一丈にタゴの緒が四尺あげこが三尺牛の沓あ三かな、馬ん沓は四かな、草鞋の数が十二かなとあらあら決まってござればこれまた目出度い目出度い 下ん田ん泥ん中嵌めくわせなさって万歳、万歳
こうだの端から行こうか右こう左こう畔豆喰うなと追いくりまわして鋤いたるその田の掻き手は誰々、上ん山八兵衛下ん釣りの孫助なんどが万歳、万歳
馬鍬の取っ手をしっかと押さえて縦目にさらさら横目にさらさらおん掻きなされば植え手は誰々寿命の永いがお鶴にお亀に次郎の嬶に太郎の嫁なんどが万歳、万歳
尻をば大方臍までからげちチョポチョボチョポチョボあ どうしたはずみかチョロリと見えたり万歳、万歳 あ万歳 万歳
植えたるその田の実入りの良さが一町に一万石、二町で二万石奥山の椎の実のように近山ん栗のようにバッチリバッチリと実ってござればこれまた目出度い目出度い
野菜とりて人参、ごぼう、かぼちゃに、きゅうりに玉ねぎなんどが千しょうけも万しょうけもおん出来なさってこれまた目出度い目出度い目出度い
豆では何豆 白豆 黒豆 大豆に 小豆に 落花生なんどが 千しょうけも万しょうけもおん出来なさってこれまた目出度い目出度い 目出度い
大根の太さは彦山高堂の柱ほどもござってこれまた目出度い 目出度い 目出度い
蕪の太さは八年炊太釜ほどもござってこれまた目出度い 目出度い 目出度い、御家は益々ご繁昌なさって東に八つ蔵西にも八つ蔵朝日の昇るがように千人からも万人からも万福長者と仰がれなさって目出度くマモラの万歳と舞い納め候あ万歳、万歳 万歳、万歳