平成20年5月23日 場所:善教寺本堂
小栗布岳展を善教寺門徒会館にて5月23日〜26日開催
主催:善教寺 後援:佐伯史談会 四教堂塾
小栗憲一(布岳)は戸次の出身で、日田の咸宜園に学び、絵は帆足杏雨や平野五岳に学ぶ。
明治政府の役人を務め、明治21年に善教寺の住職になり、多くの詩書画を残しています。
また憲一氏の子息の桑門法導さんが
明治時代に皇太子殿下行啓記念「佐伯南郡写真帳」を編集しております。
小栗憲一の交友 | ||
◆三條実美 公家尊皇旗夷派、政変により朝廷を追放された(七卿落ち) の一人。慶応三年の王政復古で復帰、新政府で右大臣・太政大臣・内大臣として生涯政権の中枢にあった。 ◎小栗憲一の妻は濃州友徳寺善照の長女で三条家へ奉公していた。 |
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◆松方正義(海東) 旧薩摩藩士、明治十四年の政変で大蔵卿となり日本銀行を設立。第四代・第」八代内閣総理大臣、大蔵大臣・内大臣を歴任した。 ◎明治二年、日田県知事だった松方正義の勧誘を受けた小栗憲一は還俗して官職についた。 |
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◆長三州父子 長三州は日田郡馬原村出身、戚宜園の秀才。 長州奇兵隊に入り勤王の志士たり。維新後文部大丞となり明治五年「学制」の発布、「教則」の交付に寄与した。 ◎小栗憲一とは成宜園の同窓であり、明治政府の同僚となる。 |
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◆秋月橘門父子 橘門は白州高鍋出身。戚宜園卒後佐伯藩校「四教堂」教授、維新後は葛飾県知事となる。子息新太郎は兵部省出仕、東京女子師範学校長、兼文部参事官を勤める。 ◎東京で明治四年に長梅外・秋月橘門によって結成された漢詩結社「玉川吟社」に小栗憲一も参加、同人であった。 |
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◆平野五岳 日田郡生まれ専念寺住職。詩を広瀬淡窓に書を買名海屋に画を田能村竹田に学ぶ。 一幅に詩・書・画を究め三絶僧と称された。 ◎布岳もまた善教寺に竹林庵を築き、詩書画に没頭し、五岳に並び称される三絶となった。 |
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◆小栗栖香頂 戸次妙正寺長男、憲一の兄。 戚宜園の三才子と称せらる。上京して八宗の学問を大成。 弟憲一と共に海外布教、本山の法政改革に当たった。号蓮舶。 |
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開催日前日の5月22日準備中風景 |
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23日 本堂にて佐藤巧氏の講演がありました ↓パノラマ写真をクリック | ||
今回の大きな注目は 布岳さんの絵巻物に描かれていた咸宜園の図です | ||
日田の咸宜園に保存されている咸宜園の図が↓です | ||
日田市から教育委員会の方 日田の文化財管理係の方や 宇佐の歴史博物館の学芸員さんなど 遠くからは東京の二松学舎大学から2名の学者さん 沖縄東本願寺ご住職さんなど 遠くからの参加者がありました。 |
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多くの方が小栗布岳の詩・書・画を熱心に見ています。 | ||
最終日の5月26日まで約500人ものお客さんでした。 | ||
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