平成19年5月17日
明治時代から大正時代の文学者・政治家・ジャーナリスト・教育家。本名は文雄。
大分県佐伯生まれ。慶応義塾に学ぶ。新聞記者をしていたが政府の役人となり、
早く憲法を制定して国会を開こうとした。のちに『郵便報知新聞』の社長となり、
大隈重信を中心とする立憲改進党の結成にも加わる。
明治16年に出版した小説『経国美談』はベストセラーになり多くの若者に読まれた。
『郵便報知新聞』を改革し、定価の引き下げやわかりやすい紙面づくりで成功する。
念願の国会が開かれる直前に政界を引退。その後は外交官として清(中国)の公使となったり、
社会主義の主張をした。晩年には大阪毎日新聞(今の毎日新聞)副社長。
錦城中学校の校長も務めた。経歴の多彩さや、常に時代の一歩先を見つめて
新しいことにチャレンジした、当時の日本人には珍しいマルチ人間。
詳細は四教堂塾のホームページ 矢野龍渓 目次から入ってご覧ください
この矢野龍渓の石碑は佐伯小学校の校庭の片隅にありました
矢野龍渓の先祖が毛利藩主より賜った土地を佐伯小学校のために
寄付された事で住民が建てた感謝の石碑です
本来 矢野龍渓生誕の屋敷跡にあるべきものですので 四教堂塾では
矢野龍渓生家跡の平成塔の隣りに移転させる事にし準備を進めて来ましたが
本日 この明治45年に作られた石碑を移設いたしました
立体写真でも見られますのでご覧ください
これで山際通りを歩く多くの人に矢野龍渓を知ってもらえる事になります それにしても 電柱が景観をそこね ちょっとじゃまでしたね |
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新しく四教堂塾が作った看板です 看板制作は「かわの広業」さん | ||
この肖像写真は新聞記者より大蔵書記官及び洋行時代の矢野龍渓 立ち姿の写真からパノラマンが右のように加工して使いました |
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四教堂塾が作った 藩校「四教堂」跡の看板 | ||
四教堂塾で作った 佐伯文庫跡の石碑 | ||