煮えたぎる地獄




地獄に落ちた円内坊  伝説

昔、別府の鶴見村の寺に、円内坊という坊さんがおった。
円内坊は日頃から、たいそう欲の深い男じゃった。そのうえ、坊さんのくせに、仏さまの教えをとくでもなし、作物がよくとれるように祈るでなし、ただただ、おのれの財産をふやすことし考えておらなかった。

この鶴見村は、日照りや大水にみまわれる土地のため、作物がおもうようにはとれん。それだけならまだしも、年貢のとりたてがきびしいところでな。村の人たちがこまろうとこまるまいと、決まった年貢をびしびしとられた。
村の人たちはわずかに残ったものを、ほそぼそ食べてくらすのじゃが、それにもかぎりがある。
食べるものがなくなると、村の人たちはそのたびに、円内坊のところへ米を借りにいったんじゃと。
すると、円内坊は、「おまえたちにはあまりかしとうないのじゃが、わしも仏につかえる身じゃ。しかたがあるまい。だが、秋になったら、どんなことがあってもかえしてもらいますぞ。」と、かたく念をおしてから、「ほら、一升、二升……。」
村の人たちが持ってきたふくろに米をいれてやったんじゃと。ところがそのますは、八合しか入らんようにしてあった。なのに、村の人たちがようやくとり入れをすませて米をかえしにいくと、こんどは一升二合もはいるますをとりだしてきて、「よし、一升、二升……。」と、はかったんじゃと。正味八升しか借りておらん米を、かえすときには一斗二升もとられるばかりか、利息分の米はさらに別じゃ。円内坊はこの米がかえせないものからは土地をとりあげ、そこに米をつくらせたんじゃ。
こんな調子だったから、円内坊のお寺には、庄屋もかなわんほどの米の蔵ができ、土地もふえていった。円内坊はこうしてあつめた米を、お寺の本山に差出ておった。はやく位の高い坊さんになりたいいっしんからじゃ。村の人たちこそ災難じゃった。

「坊さんの身でありながら、円内坊のすることはまったくひどい。」「あんなやつから土地をかりねばならんとは、なさけないかぎりじや……。」
村の人たちはロぐちにいいあった。
そんな、ある年のことじやつた。夏にはめずらしく、くる日もくる日も雨がふりつづいたんじゃと。雨はとうとう田んぼにあふれ、そだちぎかりのイネを水びたしにしてしまった。
やがて、ようやくのことに雨はやんだが、この年はとうとう、一粒の米もとれんじゃった。
「こんなことじや、去年借りた米も返せん。」
「来年まで待ってもらうほかあるまい……。」
村の人たちが田んぼをながめながら話あっていると、円内坊の使いがやってきた。
「去年かした米を、すぐ返すようにとのことじや。」
村の人たちは、びっくりしてしもうた。
「すぐに返せといわれても、見てのとおりのありさま。どうしたらいいんじゃ…・‥。」
「一年だけ、待ってくれるよう、頼みにいくとしよう。いくら話のわからん円内坊でも、大雨にたたられてひとつぶの米もとれんかった訳を話せば、だめとはいうまい。」
村の人たちは相談して、円内坊の寺へでかけていったんじゃと。ところが円内坊は、村の人たちの話にまったく耳をかそうともせん。
「大雨にたたられたというが、大雨はわしがふらせたわけではない。米がかえせないというなら、娘を売ってでも返してもらいましょうかのう。」
と、とりつくしまもなかった。村の人たちはかえすことばもない。
「娘を売れだなんて、あんまりだ…‥・。」

カなく、寺をひきあげたんじゃ。「だが、こうなったら娘を売るしかあるめえ。かえさねば、のこりの土地も円内坊のものにされてしまうからのう。」
「いや、娘を売るくらいなら、村を捨てた方がましじゃ。」
寺をひきあげた村の人たちが話あっていたとき、とつぜん地の底から、ゴオッという地ひびきがきこえ、ついで、こんどはぐらぐらと大地震がおこった。

「見ろ、円内坊の寺がもえちょる。」
円内坊の寺は、火柱となってもえさかっていた。地震がおさまったので、村の人たちが寺にかけつけてみると、寺はあとかたもなく焼け落ち、地の底にしずんでしまっていた。そしてそこには、坊主頭ほどの泥土が、ぶくぶく、ぶくぶくふきだしておった。
村の人たちはそこを、円内地獄とよんだが、いつのまにか(坊主地獄)と呼ばれるようになったんじゃ。いまでも、地獄の底におちた円内坊がもがいておるのか、坊主頭ほどの泥土が、ぶくぶくと不気味に噴きだしている。


          偕成社発行  大分県の民話より
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