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熊本城は、安土桃山時代末期から江戸時代前後にかけて加藤清正によって、中世の千葉城、戦国時代の
隈本城を取り込み築かれた。
日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが
詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価があります。
細川氏の居城となった後もほとんど改変はなく明治初頭までは、大半の建物が撤去されずに現存していたが、
熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、西南戦争により一部の建物を残して
天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失し、現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る。
石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、改修された部分があるもののほぼ創建当初の姿をとどめ、
城跡は特別史跡に指定されています。
昭和初期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では、本丸御殿の復元をはじめ、西出丸の塀、戌亥櫓、
元太鼓櫓、奉行丸の塀、未申櫓、南大手門など熊本城への登城ルートの建造物の復元を進めています。
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