大吊橋から震動の滝を眺める

2006年11月7日 
 左の滝が女滝(落差98m) 右の滝が男滝(落差83m)


震動の滝・竜神伝説
昔むかし、この震動の滝には年老いた竜神が住んでいました。
年々、神通力が衰えてきた竜神は、不老長寿の薬として、若い女を食らうことにしました。
釣にことよせて、北方部落の、ある里人を招きよせ「お前の娘を差し出せ、さもないとお前を食らうまでだ」とせまったのです。里人はあまりの恐ろしさに娘を捧げる約束をし逃げ帰りました。が、約束を果たさずにおりますと、竜神は怒って、神通力で部落の底を抜いて水を干上がらせてしまったのです。田畑の作物は枯れ、井戸水もなくなり、部落は大干ばつに見舞わ<れました。さらに、竜神は最後の力を振り絞り、断崖をよじ登り、部落に火を吹き始めました。
この時、娘の恋人は一計を案じ、部落総出で懸命に詫びて、不老長寿の薬として「餅」を捧げ、竜神の怒りを鎮めることができました。
この時から、天災や大火の度に餅を滝壺に捧げて、竜神の機嫌をうかがう習わしとなりました。しかし、老いた竜神には部落の水を元に戻す力はもうありませんでした。

その後、部落の難儀を見かねた日田代官塩谷大四郎によって、天保3年、千町無田より水路が設けられ、昔のように稲を作ることができるようになりました。その水路記念碑は北方部落の白鳥神社境内にあります。 竜神が岩や木をかきむしって這い登った跡が、白鳥神社のそばに残り、「竜神崩え」または「白崩え」と呼ばれて今も里人に恐れられています。




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