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中津城は扇城、要城ともいわれます、周防灘(豊前海)に臨む山国川河口の地に築城された梯郭式の平城です。
堀には海水が引き込まれているため、水城とも見られており、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられます。
黒田孝(如水)が1588年から築城開始、1601年黒田氏に代わり細川忠興が入城し大改築し1620年完成しました。
1877年(明治10年)西南戦争で消失。
現在、本丸上段の北東隅櫓跡(薬研堀端)には5重5階の天守と2重櫓(南東隅櫓跡)があるが、これは
昭和39年(1964年)に観光開発を目的として萩城天守を模して鉄筋コンクリート造で建てられた、いわゆる
模擬天守と呼ばれるもので、奥平昌信が中心となって構想し、小倉城復興天守や名古屋城外観復元天守を
手掛けた、東京工業大学の博士藤岡通夫が設計、当時は現在の5重5階に地下1階があったという。
高さは23mある。