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大分県護国神社
大分県初代県令森下景端は、慰霊顕彰のために明治8年「招魂社」を創建しました。
この明治8年に祀られたのは、明治七年佐賀の乱で戦死した杵築の大山昌など14柱、同年台湾出兵で戦病死した
竹田の井上某など三柱、過ぎし明治維新の動乱のさい蛤御門の戦いで戦死した南大分荏隈の若杉直綱など5柱の英霊です。
次に明治10年の西南の役とその前年の熊本神風連の乱で殉職した人たち297柱が祀られました。
それ以後も日清、日露の役、シベリヤ出兵による戦死者、欧州大戦、満州事変、日中戦争、大東亜戦争などで
戦没された方すべてで44000余柱が祀られています。
建当時のご社殿の位置は展望台の地点で、現在の社殿にご遷座するまではずっとここに位置しました。
明治18年、拝殿などに増改築が加えられ、その後、昭和8年6月ご社殿の改築、参道の改修、神苑の拡張整備が行われました。
昭和14年4月「大分縣護國神社」と改称しました。
春日神社
社伝によれば、貞観2年(860年)、豊後国国司となった藤原世数により氏神である奈良春日大社を勧請して創建された。
天平年間(729年 - 749年)、石川年足が大和三笠山より勧請したとも伝えられる。
鎌倉時代の建久7年、豊後国の地頭となった大友能直が再興し、以来、代々の領主により府内の総廟として崇敬された。
明治4年に県社に列格した。
天正12年(1584年)の島津軍の入府の際に、昭和20年(1945年)には米軍の空襲により社殿を焼失した。
現在の社殿は昭和42年(1967年)に再建されたものである。
長浜神社
7月5日〜7日の祭りは「雨の長浜さま」と呼ばれ市民に親しまれています。
神社周辺の塩九升通りや長浜通りは、3日間とも歩行者天国となり、数多くの露店が立ち並び賑わいます。
商店街の至る所に飾られている「風流見立て細工」や5日の可愛らしい「子供神輿」、6日の「本社神輿渡御」、
境内神楽殿にて奉納される「長浜神楽」などがあります。
境内では「おみか餅」の販売もしています。「おみか餅」とは、おみかという女性が病気完治のお礼に
お餅を付けた木を奉納した故事から縁起物として売られているものです。
長浜神社は、応永13年(1406年)創建といわれ、2006年に鎮座600年を迎えています。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)と少彦名命(すくなひこなのみこと)で、共に医学の神様です。
また、学問の神様として知られる菅原道真公も合祀しています。 縁結びの神様としても有名です。
長浜神社祭典(雨の長浜さま)立体写真←クリック