パノラマ大分の表紙へ戻る 豊後大野市の表紙へ戻る
豊後大野市緒方町の国道502号線より500mばかり入った緒方高千穂線沿いの緒方川に
大分のナイアガラと呼ばれ、日本の滝百選に選ばれた名瀑「原尻の滝」があります。
滝を中心に周辺は公園化されており道の駅「原尻の滝」や藁葺き屋根の家と水車、吊り橋などがあり、
毎年4月第1土曜日〜第3日曜日まで道の駅そばでチューリップフェスタが開かれます。
チューリップフェスタには約50万本のチューリップが咲き揃います。
滝周辺では8月14日には13000本の松明の火が灯る、小松明火祭りなどもあります。
旧暦10月14日頃の週末には原尻の滝上の川を神輿が渡る川越しまつりがあります
緒方三社。それは久土知の一の宮社、原尻の二の宮社、上自在の三の宮社の3つです。
いずれも、郷土の武将緒方三郎惟栄が建てたと伝えられています。
一の宮社には仲哀天皇(父)、二の宮社には応神天皇(子ども)、三の宮社には神功皇后(母)が
祭られていますこ川越しまつりは、一の宮社のみこしと三の宮社のみこしが二の宮社に集まるものです。
つまり、お父さんの仲哀天皇とお母さんの神功皇后が、子どもである応神天皇のもとへ行き、3人で
楽しく過ごすわけです。このとき、お母さんの神功皇后は川を渡らなければなりません。
このみこしが、フンドシ姿の若者達にかつがれ、川を渡る姿は勇壮です。
今から800年とちょっと前のことです。源頼朝の家来だった大友能直(よしなお)は、頼朝から豊後国の
支配を任されました。その能直にとって、じゃま者がいました。そのじゃま者とは、郷土の武将緒方三郎惟
栄(これよし)の一族、大野泰基です。泰基は朝地町の押角寺にたてこもりましたが、能直の兵、古庄四郎
重能に見つけられ、討たれてしまいました。ところが、その後、原尻の滝で洪水や暴風雨が相次ぎました。
緒方三郎惟栄の怒りだったのでしょうか……。
これから先に不安を抱いた大友能直は、原尻の二の宮社に緒方三郎惟栄と大野泰基の霊を祭ったといいま
す。これが川越しまつりの始まり、と伝えられています。
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空から見た原尻の滝 下の写真をクリックすると空からの写真スライドショーが開きます。
夕方の原尻の滝 これから川越し祭りが開催されます2010年11月撮影
原尻の二の宮社前 祭りの旗 偶然にも野生のイノシシが画面にいます 2010年11月撮影
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緒方チューリップフェスタ←クリックしてご覧下さい。
赤青立体メガネを用意してご覧下さい。
立体写真緒方の旅←クリックしてご覧下さい。
立体写真春の緒方風景←クリックしてご覧下さい。