昔、豊後の国清川村宇田枝というところに、大太夫という豪族が住んでいた。
大太夫には花御本(はなのおもと)というひとりの姫があった。たいそううつくしい姫で、国じゅう見まわしても肩をならべるものはなかろうと、うわさされる程であった。
大太夫のいつくしみようはたいへんなもので、「姫よ、姫よ……。」と、いつもかたわらにおいてかわいがっていた。
姫のうわさを聞いて、おおくの若者たちが、わたしこそ姫のむこにと、もうしでてくるのだが、そのたびに大太夫は、「わが家より家の格がたかいものでなけれは、むこにはできない……。」と、ことわりつづけていた。そして、大太夫は、やかたのうしろにりつばな家をつくって守りのものをつけ、そこに姫をすまわせて、いつも気配りをおこたらなかった。
このため若者たちは、だれひとりとして姫のもとにかようこともできず、ただとおくからその美しい姿をながめては、ためいきをつくばかりだった。
春がすぎ、夏もすぎたが、姫には、誰一人心をうちあけるものがおらん。ある秋の夜、姫がひとりものおもいにふけっていると、どこからともなく、立烏帽子 (むかし、公家や武士がかぶった帽子) に水色の狩衣をつけた若者があらわれた。どう見ても、田舎にすむものとはおもえない、上品なすがたをしている。
若者は、花御本のそばにちかづくと、やさしく声をかけた。
「姫よ、なにもこわがることはない……。」
そして、姫の肩に手をまわした。姫は、なすすべも知らず、ただただ、からだをかたくするばかりだった。
やがて夜もふけ、いつのまにか若者はかえっていった。姫は、いったいどこのだれだろうと思案しながらも、いつかまた、あの若者がたずねてくれることを心まちしていた。
若者は、つぎの夜もやってきた。さく夜とちがい、姫も笑顔でむかえた。若者とかたらっていると、夜のふけるのもわすれた。姫の心は、いつのまにか若者にかたむき、気がついたときには、若者のむねに抱かれていた。
それからは、雨がふろうが、風がつよかろうが、若者はまい晩かよってきた。姫も若者の来るのを楽しみに待つようになっていた。
姫は、このことを大太夫やまわりの人にかくしていたが、なにしろまい夜のことなので、姫につかえていた女たちから見とがめられ、ついに大太夫の知るところとなった。
そこで、大太夫は姫をよび、「姫よ、おまえのもとにまい晩まい晩やってくる若者は、いったいどこの誰じゃ。」と、とうてみたが、姫はなかなかこたえようとしなかった。そこで大太夫ほ、さらにきびしくといつめた。
すると、姫は、「どこのどなたか、おたずねしても、いっこうに名をあかしてくださいません。ただ、身なりからして、よほどのおかたとお見うけしております。あのかたがおいでになるのは夕ぐれですが、いつお帰りになるのか、わかりません。わたしが目をさましたときには、もう、お姿が見えないのでございます。」
と、ようやくありのままをうちあけた。
その話をきいて、大太夫はかんがえた。(大宰府の近くでもあれば、都の身分の高いお方とおもってよかろうが、ここはかた田舎じゃ。わけがわからん。しかし、狩衣に烏帽子すがたとは、おそらく家柄のよい若者であろう。姫のむこにしてもよさそうじや……。)
だが、若者がどこの誰ともわからんのでは、縁談のすすめようもない。大太夫は、若者の身もとをつきとめる方法はないものかと、思案にくれた。
やがて大太夫は、若者が夕方やってきて、明け方ちかくに帰るということなので、なにか印をつけて、その行方をたずねようとおもいついた。そこで姫に、おだまき(糸まき)と針を「姫よ、今夜その若者がたずねてきたら、気づかれないように、このおだまきの糸に針をつけて、狩衣のすそに刺し通しておくように。」と、おしえて、姫をやかたにかえした。
その夜、またどこからともなく、いつもの若者がやってきた。身分はあかさないが、高貴なお方らしいことは、そのものごしや、ことばづかいからもうかがえた。
「あなたさまは、どこのどなたです。お名まえなりと、お教えくださいまし。」姫は、できることなら狩衣のすそに針を刺したりしたくなかったので、懸命にたのんでみたが、「わけあって、あかすことはできぬ。」と、若者はロをとざしてしまうのだった。
姫はしかたなく、大太夫からおしえられたとおり、若者に気づかれないよう、そっと狩衣に針を刺しておいた。
朝になって目をさました姫は、若者の姿をさがしたが、いつものようにその姿はどこにも見あたらなかった。
姫は、さっそくそのことを大太夫に知らせた。大太夫は、「この糸をたどっていけは、その若者のすまいをつきとめることができる。さあ、跡を追ってみよう。」と、姫や、共の物をつれて、糸をたよりに若者の跡を追った。おだまきの糸は長く伸び、山をわたっていくうち、日向の国(いまの宮崎県)と豊後の国のさかいにある姥岳のおくの、見あげるはかりの大きな岩屋の中にひきこまれていた。
あなのいり口に立って耳をそばだてると、痛みにうめくような声がきこえてきた。その声は、身の毛もよだつような恐ろしいうめき声だった。姫は大太夫のいうとおりに、あなのいりロに立って、「わたくしは花御本でございます。あなたさまをしたってまいりました。どうぞ、お姿を見せてください。」
といった。
すると、あなの中から、「もはや、それはできぬ。じつは今朝ほど、おとがい(したあご)の下に針をたてられ、ひどい傷を受けている。わたしの本身は、おそろしい大蛇だ。人の姿をしているときなら、外にでて見せてもよいが、人の姿にかえる力もすでになくなった。しかし、なごりおしいし、恋しい……。よくぞ、この山奥までたずねてきてくださった。」と、声があった。
花御本は、「たとえどのようなお姿であろうとも、日ごろの情は忘れません。お姿をひと目見たいと、はるばるたずねてまいりました。どうか、お姿をお見せください。」と、頼んだ。すると、しばらくして、「そうまでいわれるのなら、わたしの姿をごらんにいれよう。おどろかれるな……。」といいながら、大蛇は、あなからはいだしてきた。だが、おそろしい姿には似ず、目には涙をうかべ、頭をさしのべてきた。姫は衣をぬいで頭にかけてやり、おとがいの下の針をそうっと抜いてやった。
喜んだ大蛇は、「姫よ、あなたのお腹の中には、男の子が宿っている。その子が成長したあかつきには、九州では並ぶもののない武将となろう。おそろしいものの子であるからといって、けっして粗末にされるな。わたしが子孫の末までも、お守りいたそう。」
それを最後のことばに、大蛇はあなにもどって息たえてしまった。この大蛇こそ、姥岳大明神の化身だった。
やがて、姫は玉のような男の子を生んだ。大太夫は、この子に大太と名をつけた。 大太は、はだしで野山を走り回り、足にはつねにあかぎれがきれていたので、皹童(くんどう)ともよばれ、若者となってからは、輝大弥太(あかがりだいやた)ともいわれた。
大弥太(だいやた)は成人して、大神惟基(おおがこれもと)という九州一の勇者となった。
大弥太の子に、大弥次、その子に大六、その子に大七、その子に尾方(緒方)、三郎惟義(惟栄これよし)が生まれた。大太から五代めである。
このように、大神惟基の子孫は、のちにこの地をおさめる豪族緒方氏となった。
この緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)は、緒方を中心とする大野地方に本拠をかまえ、源頼朝と仲違いをしていた弟の義経を迎えるため竹田に岡城を築城し一時は豊後一円から九州各地に勢力をふるった豊後武士団の頭領となった。
緒方三郎は、ヘビの子の末をついだということだろうか、背にヘビの尾とうろこの形のあざがあったといわれている。だから緒方(尾形)というのだと。
偕成社発行 大分県の民話より