2006年4月18日 川の向こう岸から見ると
昔、佐賀関町にある早吸日女神社の神主を務めていた関家の夫婦には子供がなく、つねづね神に「子供を授けてほしい」と願い続けていた。
そんなある日、神主が所用で大野郡に出かけ、沈堕の滝近くを通りかかったさい、子供たちが一匹の蛇を捕えて殺そうとしているのを見た。かわいそうに思った神主は、子供たちに頼んで蛇を助けてやった。
その年の暮れ、神への願いが通じたのか、夫婦にかわいい女児が生まれた。大喜びで大事に育てた。娘は成長するにつれてますますきれいになっていったが、ある夜、一緒に風呂に入っていた母親が、娘の背中に不思議なものを見つけた。目を近づけてよく見ると、それはウロコである。
きれいに三枚並んて、怪しく光っている。「なんとしたことか。やがては婿を迎える娘の身にウロコなどがあっては……」と、母は神に念じて一枚ずつはいでいくと、それはきれいにとれた。
だが、それで一安心と思っているのも束の間、何日かたってみると、また三枚のウロコが並んでいる。はいでもはいでも新しいウロコができる。ついには親子ともあきらめて、そのままにしておいた。
数年たち、娘もいまや花の盛りとなった。
そしてある嵐の夜、神主宅の戸をたたく者があった。母が出てみると女の六部である。「旅の者ですが、嵐にあって困っています。どうか一夜の宿を‥…」と乞う。そこへ娘も出て来て「ぜひ泊めてあげて」と頼む。
翌朝、嵐はおさまったが、六部は起きてこない。部屋をのぞくともぬけのからだ。「失礼な人だ」と思っていると、娘が姿を見せて両親のびっくりするようなことをいい出した。
「お父さん、お母さん。私は娘としてこの家に生まれましたが、実は以前に沈堕の滝のほとりでお父さんに助けられた蛇の化身です。
昨夜の女六部は滝から来た使いの者で、今日から滝に帰ってほしいとのことでした。お別れは悲しいが、やむをえません」と。二人は唖然としたが、娘の身にウロコがあること、さらに神主本人さえ忘れていた蛇の助命を知っていることなど、どうもでたらめではないらしい。両親も覚悟を決めねばならなかった。
娘に晴着を着せ、美しく装わせてカゴで沈堕の滝まで送った。娘は「お世話になりました。御恩は忘れません」といい、静かに滝壷に入っていった。夫婦が娘の沈んだあとの波紋を見つめていると、突然、水面が逆巻き大蛇がさっと頭を出した。大蛇は「お父さん。すみませんが脇差の刀を貸してください。滝壷に入ってみると、すでに滝には主がいました。それを成敗しなければ、私がこの滝で竜になることができません」という。
刀を与えると大蛇は再び水にもぐり、やがて水底から赤い血の水がわき上がってきた。同時に、脇差を口にくわえたみごとな竜が水面に姿を現し、神主夫婦に深く頭を下げて水中に消えた。
それから毎年一度、六月の大祓の日になると、竜になった娘は大野川を下って佐賀関・早吸日女社の宮の池に姿を見せるという。この日は雨が降らなくても大野川の水は独り、河口部の大分市鶴崎から佐賀関町神崎にかけての子供たちは海岸に立って関の空を仰ぎ、ぼーっとかすんでたなびく夏の雲を見て「いま竜が渡る」と拝したそうだ。また、大野川流域には橋から川をのぞき込んでは、竜が下ってくるのをいまかいまかと待ちわびた子供時代の思い出をもつ人も多い。