うつろ船 |
今から400年ほど昔、蒲江の東の方に小さな漁村があった。 ある日、7人の漁師がいそでアワビや海草をとっていると、沖の方からみょうなものが流れて、きた。「ありゃ、なんじゃろか。」 「ほんとじゃ、へんなものじゃのう。」 よく見ると、長い箱の形をした船のようなもので、波をかぶりながらもしずむようすはなく、浜に近づいてきた。漁師たちは、はじめはものめずらしげに見ていたが、そのうち、だんだんうす気味悪くなってきた。漁師たちはおそろしくなって、急いで浜にあがった。やがて、その長い箱のようなものは、ゆっくりと波打ちぎわに流れついた。見ると、それは箱船だった。漁師たちは、こわごわ箱船に近づいた。 「いったい、何がはいっとるんじゃろう。」 「人が乗っとるともみえんがのう。」 「とにかく、中を見てみよう。」 漁師たちは、箱船を浜に引きあげた。合わせぶたになっているところをおそるおそるこじあけて、目をみはった。 「きれいなつくりじゃのう。」 「まるで、御殿のようにきれいじゃ。」 箱の中は、天じょうも胴の間(まん中の船室)もうるしぬりになっていて、長持ちやひつ(ふたのある大がたの箱)などが光りかがやいていた。もっとおどろいたことには、その胴の問に美しい着物を着た女が3人すわっていたことだった。年上らしい女がまもり刀をにぎりしめて、侍女らしい女と、7つ8つの童女をかばうように身がまえている。漁師たちはふるえあがった。これはいよいよ魔物にちがいないと、ひとつところにかたまって、箱船のようすをうかがっていた。 しばらくすると、年上の女が童女をかかえるように船をおり、小高い岩の上にすわらせた。 それから、しずかに漁師たちをさしまねいた。その気品と威厳のあるふるまいに、これはただの人でないとふるえながらも、やっとのことで、ひとりの漁師がおそるおそる進み出た。すると、年上の女は手を合わせ、「わたしは、伊予の国(愛媛県)の殿さまにつかえる者じゃ。このたび、国で戦がおこって、この幼いお姫様をおつれして難をのがれてきました。やがて、むかえが来ることになっているので、それまでかくまってもらえないであろうか。」とたのむのであった。 「あんな小さい子どもじゃ、かわいそうじゃのう。」 「そうは言ってもせまいところじゃ。かくしおおせるものでもなかろう。」 「追っ手に見つかったら、ただですむまいな。」 漁師たちはひそひそと相談していたが、年よりの考えにしたがって、3人の女と箱船を沖へ流してしまうことにした。 「おれたちの力ではかくまうことはできん。どうかよそへ行ってくれ。」 漁師たちは、女たちを船へつれもどそうとした。女たちは、岩にしがみついてはなれない。 漁師たちは、かじや水さおで打つようにして箱船に追いかえそうとした。女たちは、泣きさけぶ姫を後ろにかばいながら、「せめて、この姫だけでも助けてくださいまし。」 と、手を合わせておがんだ。しかし、漁師たちが、それもならんと打ちたたいているうちに、3人の女は息がたえてしまった。 漁師たちは青くなった。ころすつもりではなかったのだ。漁師たちは3人の女のなきがらと箱船を焼いてしまうと、砂をかぶせてあとかたのないようにした。 「ああ、ゆめのような一日じゃったな。」 「このことは、家のものにも話さんことにしておこう。」 漁師たちは、にげるように家に帰っていった。 何か月かすぎたころ、3人の侍が村にやってきた。村人を集めると、強い声でこう言った。 「しばらく前、3人の女を乗せた箱船が流れついたであろう。もし見た者がいたら、話を聞かせてもらいたい。われらは、殿のど命令で姫さまをおむかえするため、伊予の固からやってきた者だ。」 7人の漁師はもとより、村人たちは、「そんな船は、見かけんだったなあ。」 「いっこうに存じません。」 と、かしこまって答えていた。 あくる日、侍たちは漁師たちに案内させて、近くの浜を調べてまわった。いくらさがしても姫をのせた船が流れついたようすはなかった。侍たちは、首をかしげて、「四国の戸島から潮に乗せて流す船は、かならず豊後のこのあたりに流れつくばずじゃが。」 と、船を入江の奥へ入れさせた。日はもうくれかけていた。今、この浜に侍たちを上陸させては、あのことを見やぶられるかもしれないと、漁師たちは気が気でなかった。ひとりの年上の漁師が進み出て、おそるおそる言った。 「ここは、おれたちが毎日漁をしているところじゃ。流れつくものがあれば、だれかの目につくはず。この浜のことは石ひとつまでどこにあるか知っているくらいだから、何の手がかりもないというのは、きっと何もなかったのだと思いますがのう。」 「それがまことならば、浜にあがって調べるまでもあるまい。もし、これから、箱船のうわさを聞いたら、すぐに知らせてもらいたい。」 と言い残して、侍たちは去っていった。 それから何年かたったあるとき、7人の漁師のうちのひとりが、いつのころからか両方の目が赤くただれるようになり、ついには目が見えなくなってしまった。ちょうどそのころ、目の病が村じゅうにひろがったので、だれ言うともなく、あの浜で死んだ3人の女のたたりだということになった。 やがて、だれともなく、女たちと箱船が焼かれたといわれるあたりに石を建て、小マツを植えて、おがむようになった。それが蒲江町にある姫松さまである。 以前は、目の病気をなおしてもらうためにお参りする人が絶えなかったというが、今はめったにおとずれる人はない。 大分の伝説 文:久保 彰三 |