暁嵐の滝公園 3



河童伝説
昔々、浅海井(あざむい)に六兵衛という人がいました。一町歩あまりの田畑を耕し、滝のほとりに水車を持っていました。

ある日のこと、水車がギーイという異様な音を立てて止まってしまったので、「また子どものいたずらだろう」と思い六兵衛が水車の近くに行ってみたところ、おどろいたことに井堰(田に水を引込む用水口)で大うなぎと大蟹(カニ)とが格附していた。そのために水が溢れて水車が止まったのだということが判った。また、滝の主が大ウナギと大力ニであることもわかった。

その後何事もなくのどかな日々をすごすうちに暑い夏がきた。六兵衛は十五夜の月の冴えた晩に、田の草取りをしていたところ、大ぜいのカッパがやって来て、「おじい、すもうをとろうや」「おじい、すもうをとろうや」と言ってうるさくつきまとうので、「田の草取りが済んだら、すもうをとってやるからおまえどもも手伝え」と言って、カッパどもに加勢をさせた。

六兵衛は岩壁の根方にまつられていた地蔵さんのお堂の前に行って、まずやかんの茶を一杯飲み、やかんのふたを尻にくっつけそれからいくさの前の腹ごしらえに、地蔵さんに供えられている餅をいただいてカッパどもが草取りをしている田んぼに引き返した。

お供え物の御利益があって、六兵衛じいさんの眼が光るので、カッパどもは怖がった。

それでも時々、草をとるふりをしては、六兵衛の尻に手をやるがそのたびにカンカンと音がする。カッパどもは、「おじいの尻は金尻ぞ」と尻をぬくことはあきらめた。

やがて、田の草取りは済み約束どおり地蔵さんの前の広場こ集まった。六兵衛は相撲の礼式をして両手をついて頭を下げ尻を上げることを教えた。それは、カッパは頭の皿に水がなければ三つ子に等しいからだ。六兵衛はカッパをかたっぼしから投げ倒し、最後に残った大将にも相撲の礼式をさせ、立ち上がるやいなや相手の右腕をとって力いっぱい振り回した。
カッパの腕はスポッと音をたてて抜けた。
カッパどもは尻を抜ききらず、大将の腕はもぎとらて、ほうほうの体で引き揚げていった。

六兵衛は、カッパの腕をかついで村に帰り、得意げに事の次第を庄屋に話した。括は村
中に広がり、人々はカッパのたたりを恐れて 口々に六兵衛をののしった。
六兵衛は、あっけらかんとしてわが家に帰った。

ところがその後、毎夜のことカッパは川魚を持って六兵衛の家に現れ、「大将の腕を返してくれえ」と哀願した。そして六日目の晩、うとうとしている六兵衛の枕元に三匹のカッパが現れ、「七日過ぎると腕が元どおりにくっつかんので、明日の晩までにぜひ返してほしい。そのかわり、じいの言うことは何でも聞くから」と哀願した。

そこで 六兵衛は「明日の晩、八つの鐘を合図に地蔵前で漉す」と約束してカッパどもを帰した。翌朝みんなとカッパの腕を返すための条件について協議した結果、「ふか淵にある大石をシュロの木に仕立てて、その株が腐るまではこの村の氏子に手を出すなということを決め、いよいよ七日目の夕方、村人とともに地蔵前の広場に行ってみると、大勢のカッパが手に酒の入った竹筒と川魚を携えて待ち受けていた。

六兵衛が決められた条件を出すと、カッパどもは腕欲しさにすぐ承知した。事のついでに滝の主退治を頼むと、カッパの若者十数匹が威勢よく滝つぼに飛び込んだ。見る間に、大うなぎと大ガニを捕まえて村人の前に差し出した。六兵衛が約束の腕を返すと、腕はクックツと音を立てて元どうり大将の動におさまった。カッパは、大手びに喜んで村人に酒をふるまい踊りまくった。

村人もカッパも酒を飲み、踊り興ずるうちにいつか酔いがまわって、いい気分になり夜の更けるのも忘れて踊りまくった。残月は青くかがやいて美しかった。

これが二十三夜の地蔵踊りとしていい伝えられ、練り継がれて今に及び、夏の夜のにぎやかな行事として育てられてきたということである。
ヵッパは木の株はやく腐れと祈ったが、大石が腐るわけはなく、あきらめて何処ともなく去っていった。村人は、安心して涼を楽しむことができるようになったという。

             『上浦町の文化財』(上浦町教育委員会編より)

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