大きなカヤの木 伝説 (玖珠町の伐株山の民話とすごく似ている)
養老年間というから、いまから1200年あまりとおい昔のこと。人聞菩薩(にんもんぼさつ)さまが、宇佐の方から国東半島にこられてのう、寺をたてたり、仏さまをつくつたり、病気の人をなおすなどして、人々からたいそう敬われていたんと。
人聞菩薩さまは、高田の田染村蕗に、たいへん大きなカヤの木があることをおききになって、早速行ってみたんと。木のてっぺんは雲を突き抜けとるし、幹の太さは百人で手をつないでも、まだ届かんはどでな、たった一本で大きな森をつくつてのう、山の王さまみたいにしておったんと。まわりの村は木のかげになって、ちっとも日がささん。おかげで作物ができず、人々はこまっていたんと。 人聞菩薩さまは、このカヤの木を見ると、すっかり気にいられてのう。人々の幸せのため、この木で仏さまをつくり、蕗の村にお堂をたてようとおもいなさったんじゃ。そこで、人聞菩薩さまは、腕利きの木こりを雇うて、そのカヤの大木をきろうとしたんと。 木こりたちは、つぎの日から大きな木にむかって、力いっぱいおのをふるいほじめたんと。 カーン カーン
カーン カーン…… 大きな音が山じゅうにひびいてのう、とおくの村むらにまできこえたんと。 「あんカヤの木が、きりたおされる。」 「ありがたいことじや。さっばり日があたらんでこまっちょったんじゃが。」 「おかげで作物がようでくる。」 その日木こりたちは、夕方おそくまでおのをふるいつづけ、ようやく五分の一ほどのきり口をつけたんと。 まわりの村人たちは大よろこびじゃ。 「よし、きょうはここまでじゃ。」 木こりたちは、きりだした木くずをそのままにして山をおりたんと。
ところがつぎの日、山にいってみておどろいたんじゃ。 「こりやどうか。きりロがふさがっちょる。」 「おかしなことがあったもんじゃ。きりあとひとつのこっちょらんちゃ。」 「おや、きのうあんなにつんでおいたきりくずもねえぞ。たしかにここにあつめておいたのにのう。」 木こりたちは、それでもまた夕方おそうまではたらいて、きのうよりたくさんきったんと。 つぎの日も、木こりたちは朝早くいってみたんと。今日は昨日のようなことがないように と、ねがいながらのう。ところが、やっばりきり口はふさがっとる。カヤの木は、まるで何も無かったように、みどりの葉を朝日にかがやかせて立っているんと。 「どうもふしぎなことじやのう。」 「お化けみたいな木じゃ。」 「だが、ありがたい人聞菩薩さまのいいつけじゃ。いつかは切り倒すことができるじゃろう。」 「よし。もうちっとがんばっちやってみるか。」 そういいながら、木こりたちはのう、きのうよりもっとたくさんきったんじゃ。
その夜、きり口をつけられたまましずかに立っているカヤの木にむかって、話かけるもんがあったんと。 「このたびは、とんだなんぎにおうてお気のどくでございます。」 それは、木の上からたれさがってきたへクソカズラやった。 するとカヤの木は、「お前のようなものから同情されるおれさまじゃねえ。このおれが木こりなんかに切られちたまるもんか。いらんお節介じゃ。」と、大声ではらをたてたごと(たてたように)いうたんと。
へクソカズラは、かわいそうなカズラでのう。いつも山の木たちからは、「他の木にすがらにゃ生きていけんあわれなやつじゃ。」と、馬鹿にされるし、鳥やけものたちからは、 「くさい、くさい。本当にいやなやつじゃ。」と、きらわれていたんと。おまけに、カズラでありながら、すぐきれてしもうもんだから、「なんの役にもたたん。」 と、のけものにされとったんじゃ。
そんなへクソカズラが、カヤの木におもいきって声をかけたのに、カヤの木は、その気もちも考えずに大声でどなったから、さすがのへクソカズラも心がおさまらん。 (なんば山の王さまだからというてん、わしのひとことで、おまえの命を無くすることだってできるんぞ。)と、心の中でつぶやきながら、つぎの日のくるのをまったんと。 木こりたちは、きょうも朝はやく山へやってきた。だが、木のきりロはきれいになくなり、なにくわぬ顔をしてカヤの木は立っているんと。
「きょうもだめか。」始めの元気はどこへやら、木こりたちはぼんやりつっ立って、カヤの木を見あげていたん じゃ。
すると、カヤの木にへばりついとったへクソカズラが、するするっとさがってきて、木こりたちのそばにそっとより、「あんたらは、まい日カヤの木をきっているが、あれじゃあたおせん。わしが、いいことを教えちあげましょう。それはな、切ってできた木のくずを、その日のうちに焼いてしもうことじや。あの木のくずがなければ、なんぼカヤの木だって、できたきず口を直すことはできんのじゃ。やってみなされ。」 と、おしえてくれたんと。
木こりたちは、こりやあいいことを聞いたと、たいそう喜んでのう。その日一日かかってきりだした木くずを、帰りぎわに、ひとつも残さず燃やしたんと。そりやあ、おもしろいように燃えてのう。カヤの木をこがすごとあったんと。 さあ、たいへん。その夜、カヤの木は、「ああ、あー。こりや、困った事じや。きりくずがなけりや、なんともならん。どげしたもんか。」と、しよんばりしてのう。きずロからは、しるはでるし、痛むし、ひと晩じゅううなっておったんと。それを見て、へクソカズラは、「ほらみたか。あんまりわしを馬鹿にすると、そげなことになるんじゃ。」と、葉をゆすってわろうたと。 木こりたちが、つぎの日いってみると、カヤの木のきりロは、そのままになっていたんじゃ。 「おう。やっぱりへクソカズラが云うたとおりじや。」 「これで切り倒すことができる。」 「やっばり、人聞菩薩さまが、へクソカズラにいわせて知らしてくれたんじゃ。」 といいながら、木こりたちはたいそう喜び、これまでいじょうに元気が出て、またたくまに大きなきりロがあいたんと。
カヤの木は、数日でとうとう切り倒されてしもうたんじゃ。なんとも大きな木だもんだから、三百メートルも下の谷にきり口がとんで、今そこを(かやんはな)というている。 明るうお日さまがさすようになった村の人たちは、たいそうよろこんでのう、両手をあわせ、みんな太陽をふしおがんだんじゃ。そして、この木で、はよう仏さまやお堂をたててもらおうと、枝おとしや木はこびをてつどうたんと。
今ある富貴寺や塔御堂、真木大堂や仏像などは、みなこの一本の木できざみ、おまつりしたということじやが、おかげで作物はようでき、病気やわざわいもおこらんで、良い暮らしが出来るようになったちゅうことじや。
偕成社発行 大分県の民話より
|