虹澗橋

江戸時代に臼杵藩の領地であった三重と臼杵とを結ぶ街道に位置し、橋が架けられるまでは「柳井瀬の渡り」と呼ばれる
最大の難所であった。この難所は人や物資の往来の妨げとなっていたため、地元の豪商が私財を投じ、文政4年(1821年)に
橋の建設が始められた。工事は困難を極め、4年後の文政7年(1824年)にようやく竣工した。
当時としては最大規模の石造橋であったという。「虹澗橋」の「澗」は谷川を意味し、「虹澗」とは谷川にかかる虹という意味である。

虹澗橋は、1988年(昭和63年)に上流に新虹澗橋が架けられた後も、2003年(平成15年)まで自動車の通行する道路橋として使用されていた。 現在は自動車の通行は禁止されているが、歩行者は通行可能である。








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