2007年2月7日撮影
住吉神社に毛利の殿様が参勤交代で使っていた船(御座船)の絵があると聞き撮影
この船には90人の乗組員が乗っていたそうです
写真撮影後の2007年3月3日に東京の「船の科学館」に行きまして、この御座船の復元模型を見てきました
この「船の科学館」の学芸員のかたから 3月17日メールがありました 学芸員の方によりますと
この絵は御座船(関船)の奉納板図です。
関船は元来軍船としての用途で造られましたが、太平の世、西国大名の参勤交代
などに際し、九州から瀬戸内海を経て大阪まで関船や小早船、鯨船などで
船行列を組んで渡りました。その際に大名が乗船した関船を御召御座船その代船を
御召替御座船などとよんだみたいです。
なお関船は、船体のほぼ中央の筒挟みに帆柱を立てて帆走もできますが、櫓走が基本で
湊への出入に他船に曳かれている様子が、剣八幡宮(大分)の細川藩御召御座船「波奈之丸」の
絵馬からうかがい知る事が出来ます。
「波奈之丸」の絵馬を2007年10月14日撮影できました
特別に鍵を開けてもらい住吉神社の中に入って撮影
2007年3月3日マイタウンマップ・コンクールの表彰式に出席しましたが
上京したついでに 御座船が実際にどのような形だったか知りたくて
お台場にある「船の科学館」に行き 復元模型を撮影してきました ↓は泰寶丸
江戸幕府は諸大名の水軍力削減のため500石以上の大型船の所有を禁止し
西国大名が持っていた軍船安宅船の全てを没収しました。
そこで諸大名は安宅船に代わる関船を制限いっぱいまでの大きさで建造し、船によっては
これを鮮やかな漆塗りで仕上げ、さまざまな金具で装飾した豪華な屋形を設けて
参勤交代などに御座船として用い大名の権威を誇示したそうです。
3代将軍徳川家光の時代に建造され230年の間、将軍の御座船だった天地丸の模型
2007年7月11日「九州ウェブ大賞2007」に入賞し熊本へ行きました 表彰式の次の日
熊本城で再び御座船と全体模型を見ることが出来ました 細川藩御召御座船「波奈之丸(なみなしまる)」の
一部である船屋形部を小天守の1階に修理し保存展示していたのです
この「波奈之丸」という船の名前は お台場にある「船の科学館」の学芸員さんから
「大分の鶴崎の神社に奉納されている絵が細川藩御召船の波奈之丸です」と聞いていて
知っていた船名でしたので まさか その実物を見られるとは思ってもいなかった事でした
この展示してある船屋形は船体のほぼ中央で「御茶風呂」、藩主の居間である「御座の間」
「次の間」の計3室と2階があり、室内の襖や格子天上の装飾画は矢野派の絵師が描いた
もので「波奈之丸」の額は肥後藩主10代斉護の書を彫刻したものです
大分市鶴崎の首藤家に保存されていた船屋形部分を解体修理しここに保存しているそうです
御座船の一部をガラスの部屋に復元展示しています
右の部屋に大きな鏡を45度に置いていますので天上の豪華な絵が見られます
それにしても お殿様の御召船は金箔を張った豪華絢爛なものですね
下の船絵馬は細川藩の波奈之丸を中心に参勤交代に従う船団が鶴崎港に帰港している様子を
描いたものです 1798年(寛政10年)船頭がしらに当たる橋本氏・鈴木氏が制作に従事し
航海の安全を祈って剣八幡宮に奉納したものです(幅296センチ高さ163センチ)
(平成2007年7月23日毛利空桑記念館に保存しているコピーを撮影)
東鶴崎のうなぎ屋「菊乃家」さんにある御座船の絵 平成2007年7月23日撮影