パノラマ大分の表紙へ戻る 臼杵市の表紙へ戻る
臼杵城跡は、春には約1000本の桜が咲く桜の名所です。
大友宗麟によって築城され、丹生島城、亀城とも呼ぶ、四方を海に囲まれ天然の要塞であった。
島津の大軍が攻めてきたとき「国くずし」という大砲で島津軍を撃退した。
江戸時代には臼杵藩稲葉氏5万石。
現在周囲は埋め立てられ島であった面影は少ない。
総合運動公園内の子供広場には大型遊具があります
それも臼杵にちなんで沈む帆船リーフデ号です これを凧を揚げて
近くから空撮いたしました 下の写真をクリックしてストーリーショーボタンを
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リーフデ号は、1600年(慶長5年)3月16日に、豊後国(現大分県)臼杵付近の海岸に漂着したオランダの商船。
マスト3本 全長34m 300トンの帆船です 助かった航海長ウィリアム・アダムス(イギリス人)は
江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイギリス人航海士・水先案内人・貿易家。
日本名の三浦 按針(みうら あんじん)としても知られます。
同じく助かったオランダの航海士ヤン・ヨーステンと共に徳川家康に気にいられヤン・ヨーステンの
屋敷のあった場所は現在の八重洲のあたりです、この「八重洲」の地名は彼自身に由来し。
「ヤン=ヨーステン」が訛って「耶楊子」(やようす)と呼ばれるようになり、これがのちに「八代洲」(やよす)となり、
「八重洲」(やえす)になったのだそうです。