パノラマ大分の表紙へ戻る 佐伯市の表紙へ戻る
慶長6年(1601年)日田隈城から佐伯へ2万石で入部した毛利高政は統治と海上交通の便を優先して、
栂牟礼山の栂牟礼城(標高223m)を廃し、この塩屋村八幡山(標高144m)に11年かけて
近世山城を築きました。 城の名は塩屋城・鶴屋城・佐伯城とも呼ばれています。
佐伯の城下町も築城と同時に遠浅の海岸を埋め立て堀割と土塁で囲み船頭町と内町が形成されました。
完成した城は三重の天守閣で立派なものでしたがほどなく落雷により焼失し石垣のみ残っています。
寛永14年(1737年)3代高尚の時代に、山城の居所が不便だと山麓の三の丸に移り住みました。
三の丸御殿は一部が残っていましたが、文化会館建設のため解体され、玄関付近のみ
住吉神社横に移築されています。
現在、山は城山といわれ市民の憩いの場所で、毎日登る方も多数いらっしゃいます。
2012年2月2日 正午前後の2時間の降雪により雪化粧した佐伯市
当日の管理人ブログをご覧ください
2011年3月31日の城山頂上
城山登山口に城下町の昔と今の案内ができました(2009年4月) 写真をクリックすると大きな図が出ます
明治時代萩山から撮影した佐伯の町と城山
頂上からの風景 動画ですので画面をクリックして再生してください。
2013年11月28日 秋の城山から市役所が全容を現しました